左:株式会社グルーヴノーツ 代表取締役社長 最首英裕
右:横河電機株式会社 常務執行役員 マーケティング本部長 阿部剛士氏

AIやIoTの普及によって「デジタルトランスフォーメーション(DX)」というキーワードを耳にする機会が増えました。しかし実際にふたを開けてみるとビジネスモデルの刷新を伴うDXというより、一部業務のデジタル化に過ぎない事例も多く、また、DXの本質とはかけ離れた過剰な「賛美」や、恐怖心を煽る「虚像」を目にすることも少なくありません。今回のUNPLUGGD CROSS TALKのゲストは、計測機器やプラント制御システムを手掛ける国内トップメーカーの横河電機で、常務執行役員マーケティング本部長を務める阿部剛士氏です。同社はDXをどう捉え、どのような形でビジネスに適用しようとしているのでしょうか。グルーヴノーツ代表取締役社長の最首英裕が迫ります。

【プロフィール】

阿部 剛士 横河電機株式会社 常務執行役員 マーケティング本部長

1985年、インテルジャパン(現インテル)に入社。2005年、同社マーケティング本部長就任。07年、芝浦工業大学専門職大学院 技術経営/MOT修了。09年、同大学地域環境システム専攻博士課程修了。11年、同社取締役副社長兼技術開発・製造技術本部長に就任。16年、横河電機に入社、現在に至る。

不確実性が高まる時代。自社のパーパス(存在意義)の再定義が不可欠に

最首 ここ数年「デジタルトランスフォーメーション(DX)」というキーワードをよく耳にするようになりました。しかしDXがもたらす本質的な変化を正確に捉えていると感じることはあまり多くありません。また過剰な期待、もしくは実態に即していない不安や懸念を煽るような情報を目にすることも増えています。そこで今回、当事者として、DXはもとより、グローバルビジネス、マーケティング、ITにも精通していらっしゃる横河電機の常務執行役員 マーケティング本部長の阿部さんにお声がけしました。

阿部氏(以下、敬称略) 今回は貴重な機会をいただきありがとうございます。横河電機は以前から、量子コンピュータや「City as a Service(シティ・アズ・ア・サービス)」の面でグルーヴノーツさんにはお世話になっており、個人的にも大変興味のある会社です。今回このような形で関わらせていただきとても光栄です。本日はよろしくお願いいたします。

最首 こちらこそよろしくお願いいたします。早速ですが最初の質問です。いま日本社会は大きな価値観の転換期に差し掛かっているように感じます。横河電機さんはメーカーとして非常に長い歴史をお持ちです。これからビジネスはどのように変わっていくとお考えですか?

阿部 横河電機は1915年に創立したメーカーです。横河電機は過去105年にわたる歴史を通じて、先の大戦や幾度となく訪れた経済危機など、価値観の転換を迫られるような大きな危機を乗り越えてきました。いまわれわれが向き合っている変化も、こうした大きな危機に比類するものであるのは間違いないと考えています。こうした大転換期に際して欠かせないものを挙げるとするなら、それは「パーパス」。つまり自社の存在意義を再定義するということではないかと考えています。

株式会社グルーヴノーツ 代表取締役社長 最首英裕、横河電機株式会社 常務執行役員 マーケティング本部長 阿部 剛士氏の対談

最首 もう少し詳しくお聞かせください。

阿部 はい。最近、現在、そして未来を指し示すキーワードに「VUCA」(Volatility/変動性、Uncertainty/不確実性、Complexity/複雑性、Ambiguity/曖昧性)があります。デジタルテクノロジーの急激な進歩、人間の活動がもたらす環境破壊や気候変動、昨今の新型コロナ禍のような世界的な感染症の流行などによって、世界は予測不能でその変化は激しくなっているという認識から生まれたキーワードです。この5年ほど産官学の有識者が集うダボス会議においてももっとも白熱する議題として話題に上るほど注目を集めています。

最首 状況が過去とまったく変わってしまったいま、自分たちはなぜ存在するかを示すことが求められている。そのために、自らの存在意義を改めて問い直すことが重要なのですね。

阿部 その通りです。これ以外にもパーパスが重要だと申し上げるポイントはあります。ひとつは、製品やサービスの差別化がますます難しくなっている点です。有望なサービスが登場するとやがて、各所でコピーされ過当競争が始まるのは世の常ですが、デジタルテクノロジーの普及によって近年はそのスピードがかなり速まっています。製品やサービス単体では差別化が困難な時代だからこそ、顧客を惹きつけるために自社のパーパスを再定義すべきなのです。ほかにもパーパスを定め、知らしめる利点があります。

最首 どんな利点でしょう?

阿部 人材の流動化が進む昨今、企業としての立ち位置や行く末を明確に示し、論理的に説明できる企業には顧客のみならず優秀なタレントも集まりやすくなるという利点です。戦国武将、武田信玄の言葉に「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」というものがありますが、企業の成長に不可欠な優れた戦力を集める意味でもパーパスは重視されるべきだと考えています。この横河電機のパーパスは、次期中期経営計画で発表する予定なので楽しみにしていてください。

最首 私たちのパーパスとしては、グルーヴノーツのビジョン「豊かで人間らしい社会の実現に貢献する」の意味するところをお話しさせてください。

株式会社グルーヴノーツ 代表取締役社長 最首英裕  (グルーヴノーツ 福岡オフィスにて)

阿部 ぜひ聞かせてください。

最首 これまではハードウェアの性能が理想とはほど遠ったため、人間が努力して画一的なコンピュータに合わせることが合理的な選択でした。しかし昨今はハードウェアのみならず、ソフトウェア技術が著しい発展を遂げたことで、コンピュータが人間に合わせることができるようになった。この状況は、テクノロジーの発展によってたったひとつの価値観を強制される時代ではなくなっていることを示唆しています。人間は一人ひとりの違う存在でいいのだと、その個性を大切にしてありのままの状態で生きていくことが世の中の発展につながっていく。そうした社会をテクノロジーを通じて実現すること。これこそが「豊かで人間らしい社会の実現に貢献する」ことであり、グルーヴノーツのパーパスといえるのではないかと思います。例えば、いまの個人の働き方として短時間勤務を選択できるように、人の配置に応じて機械の処理能力を微調整することで、快適であるのに生産性の高い状態を作ることができます。

阿部 なるほど。アメリカの若者の間で流行っているスラングに「YOLO」という言葉があります。「You Only Live Once」の頭文字を取った略語なのですが、日本語でいうと「人生泣いても笑っても一回きり」ということなんですね。なぜいまこうしたスラングが流行っているのかといえば、今世紀はハイパーパーソナライゼーションの時代であり、それを実現する技術的な裏付けがあるからなんです。そういう意味ではグルーヴノーツさんのパーパスは非常に的を射た印象を持ちました。

最首 ありがとうございます。とはいえグルーヴノーツはIT専業。私たちがサービスの提供を通じて個人や企業をエンパワーメントしようと思ったら、計測機器やセンサーなどハードウェアの作り手である横河電機さんのような企業の存在が欠かせません。

阿部 そういっていただけると嬉しいですね。先ほど最首さんがおっしゃった個人の重要性というのは、これまでの歴史を振り返って見るととてもよくわかります。また、アメリカの心理学者アブラハム・マズローが唱えた「欲求五段階説」によると、生命を維持するための生理的欲求、安定した暮らしを望む安全欲求が満たされた人は、社会的欲求、承認欲求の次に、自己実現を希求し始めるといいます。マーケティングの父といわれるフィリップ・コトラーも著書『マーケティング4.0』で顧客の自己実現を支援する重要性を説いているように、今世紀はまさに個人の時代であり、いまほど個人の自己実現をうながす商品やサービスが求められている時代はありません。一人ひとりに合った適切な顧客体験を創造することが、これからの企業にとってもっとも重要な競争戦略の源泉になると思います。

顧客の購買体験をいかに演出するか。物語を読み解き、生み出す力が求められる

最首 もうひとつお伺いしたいことがあります。たとえばこれまでモノを作ること、売ることに徹していた多くの企業が続々とビジネスのサービス化に乗り出しています。横河電機さんはさまざまな機器やシステムを作られる一方で、販売後も保守サービスなどで顧客との関係を維持されていると思うのですが、ビジネスのサービス化を実現する上で何は重要だと思われますか?

阿部 最首さんがおっしゃるように販売後も顧客との関係を維持しているのは確かなのですが、その関係性は保守サービス契約の枠を越えるものではなかったのも事実です。しかし今後はむしろ製品やサービスを納品してからが勝負です。サポートやメンテナンスサービスを起点に、顧客の振る舞いや会話から趣味趣向や新たな課題を収集、分析して社内の関係部門にフィードバックして次のアクションにつなげる。ここにAIを活用してヒットポイントを導き出していくこともできると思います。こうしたサイクルを回し続けることで、既存サービスの改善や故障を事前に察知する予防保全のような新サービスの開発にもつながります。

横河電機株式会社 常務執行役員 マーケティング本部長 阿部剛士(写真提供)

最首 なるほど。

阿部 これまでのものづくりの主流には、「ジャストインタイム」という考え方がありましたが、「ジャストオンタイム」に変えていかないといけないと思っています。顧客がちょうど欲しいと思うタイミングに適切に製品やサービスを届けられる。そうするとお客さまは「ワォ!」とよろこんでくれる。大切なのは取引開始から終了するまでの期間、「LTV(Life Time Value/顧客生涯価値)」を高めるために、つねに顧客の状況をみて徹底したケアをするという意識を持つことが重要です。顧客からの仕様要求に応えるだけの単純なカスタマーサティスファクションでは、もはや顧客を捕まえておくことはできません。いかに顧客を自社のファンに変えるか、長期にわたる視点で考えることがポイントだと思います。

最首 ときおり「ビジネスのサービス化とはどういうものだと思いますか?」と聞くと「モノ売りから脱却して運用でお金をもらうことです」とおっしゃる方がいます。しかし「サービス」という言葉の意味からいえば、相手の心を動かしたり記憶に刻まれたりするような感動や、心が震える喜びを商品や役務によって演出することが「サービス」です。ですから阿部さんがいまおっしゃったお話しは、本質を捉え得た素晴らしい解説だと感じました。

阿部 ありがとうございます。こうした現象は、とくにBtoCマーケットで語られることが多いのですが、BtoBマーケットでも同じことがいえると思っています。たとえば資材ひとつ仕入れるにしても価格の安さだけで決めるのではなく、製造や流通段階で環境に負荷を与えていないか、人権を尊重して作られたものか、よく吟味した上で買うかどうか決めるという購買行動などはその一例です。購買そのものが顧客体験になっているといえるかもしれません。

最首 最近、弊社の「City as a Service」という取り組みを通じて、パートナー各社から依頼を受けて多様なデータを解析する中で感じたことがあります。それは街の動きや人の心理状態をもっとも顕著にあらわすデータは、人流データのようなものではなく購買統計データだということ。購買統計データから人の行動の目的を解析することができるのです。またそこから、顧客が感じている店舗のブランドや商品の位置づけなども見えてきて、やがて街の特質や社会心理といったより大きな傾向や流れが立ち上がってくる点も見逃せません。ですから阿部さんのおっしゃる購買行動が顧客体験になっているという指摘はとても納得感がありました。私にとって時系列で並んだ購買統計データは、生活者一人ひとり物語そのものなんだと思っています。

阿部 実は弊社はいま「地球の物語の、つづきを話そう。」というキャンペーンスローガンを掲げ、環境や社会の持続可能性に横河電機がどうつながっているかを「物語」で表現して当社の存在意義を示しています。複雑性が増し選択肢が多い時代だからこそ「物語」を大切にすべきという最首さんの主張はとてもよく理解できます。

株式会社グルーヴノーツ 代表取締役社長 最首英裕、横河電機株式会社 常務執行役員 マーケティング本部長 阿部 剛士氏の対談

最首 今後はより一層、自社の価値を示す物語を紡いだり、顧客一人ひとりの物語を読み解いたりする力が求められるようになるはずです。私は、データには物語があると感じています。時系列でデータを解析するのも、複数の異なるデータを組み合わせてAIで解析するのも、そのためです。製品やサービスを提供する際に、一人ひとりは違うということを理解しつつ、個とマスの間にある適切な解像度を見つけいくことは非常に重要で、その特徴をどのように紐解いていくか。まさにそのセンスが問われていると思っています。

阿部 私はよく、海水と淡水が交わる「汽水域」に例えて表現するんですが、事業経営はゼロイチで考えることに満足せず、デジタルとアナログの真ん中で混ざり合う汽水域、最首さんがおっしゃるところの「物語」を大事にすべきだと常々感じていました。ですから今日、最首さんの口からそういう話が聞けて大変嬉しく思います。

最首 そういっていただけて光栄です。

後編に続く

構成:武田敏則(グレタケ)