脱化石燃料化の流れに伴う自動車の電動化や本格化する自動運転の実用化をめぐり、自動車産業はこれまでにない大きな変化に直面しています。むろん世界の新車販売台数で常にトップを争う立場にあるトヨタグループも例外ではありません。今回は、プレミアムブランド「レクサス」や、トヨタ車・レクサス車のエンジン、ハイブリッド部品を生産するトヨタ自動車九州の代表 永田理氏に、自動車業界におけるデジタル変革の要諦を伺います。

「まずは“私の”DXからやってごらん」

最首 このシリーズでは、毎回デジタルテクノロジーを活用したビジネスの変革をドライブされている方々にお話を伺っています。今回は、このシリーズで初めて福岡に本拠点を置く企業にご登場いただくことになりました。本日はよろしくお願いいたします。

永田氏(以下、敬称略) まだまだ悩みながらの取り組みではありますが、なるべく実体験に基づいてお話をさせていただければと思います。

最首 ありがとうございます。トヨタ自動車九州さんとグルーヴノーツは、2021年から、レクサスを生産されている宮田工場で、弊社の「MAGELLAN BLOCKS(マゼランブロックス)」を使った最適化プロジェクトに取り組んでいます。永田社長はこうしたデジタルテクノロジーを用いた改善について、どのようにご覧になっていらっしゃいますか。

トヨタグループのプレミアムブランド「レクサス」を生産する宮田工場|トヨタ自動車九州 永田氏とグルーヴノーツ 最首の対談インタビュー

永田 最初、次世代事業室のメンバーから、グルーヴノーツさんと物流担当の社員が、量子コンピュータを使った補給部品の物流最適化に取り組みたいと言っているというのを聞いたときは正直、驚きました。ただ一方で、頼もしさと嬉しさも感じましたね。

最首 どのような点に頼もしさを感じられたのですか。

永田 実務の第一線で働いている社員が「やってみよう」と自らモチベーションを高め、臆せずチャレンジしていることに対してです。経営者や管理部門は、どうしても知識を頼りに現場に対して「これを使え」「あれをしろ」と一方的に強いてしまうことがありますが、それで成功することはむしろ稀。現場のニーズに合わないことも珍しくないからです。どんなに優れたものでも使われなければ絵に描いた餅。現場の納得感があってこそ、試行錯誤の意味があると思っています。

最首 実際、あちこちで経営側の意向と現場の思惑が噛み合わず、どうしていいかわからないといった悩みはよく耳にします。かといって、現場任せで経営側は放任しておけばいいという単純な話でもなさそうですね。

永田 よく「会社が決めたDXでなくていい。まずは“私の”DXからやってごらん」といっています。それは現場の困りごとは、現場が一番よく知っていると思うからです。大切なのは、経営陣が変化の後押しを約束して、現場が「変えたい」「変えよう」と、自ら動くよう仕向けることだと思います。それをやらずに形だけ変えようとしても、お金と時間を浪費するばかりで、結局うまくいかないのではないかと思います。

在米時代に感じた、たゆまない変革の必要性と衰退への危機感

最首 自動車産業はかかわる企業や人の多さもさることながら、生産工程も複雑です。容易にデジタル化できる業務もあれば、すぐに代替手段が見つからないケースもありそうですね。

永田 ええ。でも難しいからといって手を付けなければ、近い将来さらに大きな課題と向き合わなければならなくなってしまうでしょう。

最首 どのような課題でしょうか。

永田 かつて北米トヨタにいたとき、現地の人事担当者からこんなことを言われました。「新入社員が一番落胆するのは、旧態依然としたシステムやアナログな業務プロセスを温存していることです」と。人事担当者の言葉を裏付けるように、全米の退職者について調べたレポートにも、退職理由のトップは「レガシーシステムや非合理的な業務プロセスを変えようとしない会社には将来がないから」という回答だったと記憶しています。同じことがこの日本で起きても不思議ではありません。

デジタル変革の要請について語るトヨタ自動車九州 永田氏
トヨタ自動車九州株式会社 代表取締役社長 永田理

【プロフィール】1957年、愛知県名古屋市生まれ。1980年、東京大学経済学部卒業後、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)に入社。渉外部海外渉外室第三グループ課長を経て、2000年からトヨタモーター マニュファクチャリング ノース アメリカに出向。2007年三好工場工務部部長、2009年、常務役員に就任。三好工場長、田原工場長を務める。2011年、渉外本部副本部長、2013年、トヨタモーターノースアメリカ上級副社長、トヨタモーター エンジニアリング アンド マニュファクチャリング ノース アメリカ社長兼CEOに就任。2015年専務役員北米本部副本部長、2017年取締役副社長、CFOなどの要職を歴任する。2018年から現職。

最首 若者にそっぽを向かれてしまったら、企業の先行きは厳しくなるばかりです。古い体質を抱えている組織はうかうかしていられませんね。

永田 普段の生活ではスマホやネットを使ってチケットを予約したり、買い物したりしているのに、一歩社内に足を踏み入れると、印刷物で情報を共有したり、データを手書きで転記するような業務が残っている。私の世代でさえ違和感があるのですから、デジタルネイティブである若い世代はなおさらでしょう。米国時代に聞いた話がトラウマのように心に焼き付いているものですから、常に念頭に危機感がありますし焦りを感じることもしばしばです。

最首 だからといって、先ほどおっしゃっていたようにすべてをトップダウンで押し切るのは得策とはいえませんし、現場任せではカバーできない領域もあります。舵取りが難しいところですね。

永田 ええ。私自身、この1年半ぐらいの間にDXに関する書籍を読んだり、講演を拝見したり、専門家の話を聞いたりする中で、当社にふさわしいアプローチを考えました。今はDXを2つのモードに切り分け、対処してみようと考えています。

最首 2つのモードですか。

永田 はい。端的に申せば日常業務のデジタル化と、10年後を見据えた工場や組織のデジタル化は分けて考えるということです。足もとの生産や事務など、現場のデジタル化は当事者主導で取り組み、会社として取り組むべき工場や組織のデジタル化については経営陣が責任を持って未来像を描き提示する。この2つのモードを同時並行で進めることが大事ではないかと思っています。

最首 「同時進行」で進めるのも難しいところかも知れませんね。

デジタル化の推進|トヨタ自動車九州 永田氏とグルーヴノーツ 最首の対談インタビュー

永田 はい。現状を改善するにしても未来を犠牲にはできませんし、その逆もまたしかりです。さらに社会を見渡せば脱炭素社会の実現は待ったなしの状況ですし、自動車メーカーとしてCASE(※)の高度化をリードする必要もあります。クルマづくりが大転換期に差し掛かっている今、すべてのお膳立てが揃ってから動くのでは遅すぎます。経営陣は、現場のやる気に火をつけ支援する一方、社会を広い視野で捉えてモビリティの未来からこれからの工場のあり方を明確に示す。これに尽きると思っています。

※ CASE:Connected(コネクテッド/通信機能で外部とつながる)、Autonomous(自動運転)、Shared & Services(シェアリング&サービス化)、Electric(電気自動車)の頭文字をとった略語。次世代の自動車のトレンド示すキーワード。

トヨタ生産方式に通底する「Respect for people」の精神

最首 現場のデジタル化についてはどのような取り組みをなされていますか。

永田 例えばレクサスを生産している宮田工場では日々、同じ時間に3,000人から4,000人の技能員がそれぞれの持ち場で、何万もの工程をこなしています。これらの業務に紐づく情報は、生産管理、品質管理、人事・労務管理との連携をさせなければなりません。これまでは、進捗状況をチーム内で共有するために、情報をホワイトボードに書き出したり、紙に印刷してチェックしたりしていました。しかし最近では、一部の管理責任者に携帯端末を渡し、いつでも情報を呼び出せるようにするなど、情報のポータビリティ性を上げることから始めています。まだまだやるべきことは多いですし、デジタイゼーションの段階に留まる試みも少なくありませんが、少なくともDXに向けた一歩は踏み出している状況です。

最首 なるほど。トヨタグループさんといえば、トヨタ生産方式やジャストインタイムなど、現場で培われた生産方式で世界的に知られています。情報を可視化、共有し、生産効率を高めてこられたノウハウや知見の蓄積は、いずれデジタル化され置き換えていくことになるのでしょうか?

永田 そうですね。最近の取り組みを諸先輩方にお話しすると「コンピュータにデータを入れてしまったら途端に死蔵され活用しなくなるだろう」とお叱りを受けることもあります。ですが、トヨタ生産方式の背後にある哲学を守りながらデジタル化はできると思いますし、やるべきだと思っています。

最首 少し前ですとコンピュータのパワーが足りず、テクノロジーで代替しようと思っても、中途半端だったり物足りないと感じたりする場面が多くありました。しかし、今はかなり使えるものが増えてきているので、これまで人手をかけて大切にされてきた精神を守りつつ、より良い形でデジタル化することもできそうですね。

永田 大切なのは「Respect for people」の精神だと思います。自分自身や仲間の時間にしても、人が幸せにならないことに時間を費やすべきではないというのが、トヨタ生産方式に通底する志です。これは、私が若い頃、上司に教えてもらったことですが、フィジカルな変革もデジタルな変革も本質的には同じだと思っています。

トヨタ生産方式に通底する志|トヨタ自動車九州 永田氏とグルーヴノーツ 最首の対談インタビュー

最首 すでにAIの世界では、単純な線形の課題ではなく、関連する因子が極めて多く、しかも関連性が非線形な課題に対処することが可能になってきています。面白いのは掛け合わせる要素が増えれば増えるほど、結果がベテラン社員の直感に近づくことが増えてくることです。もしかすると、工場内での人の動き、モノの動きを精緻に分析することによって、先人たちが築き上げてこられた生産の極意やクルマづくりの要諦が、直感に反しないような形でデジタル化できるかも知れません。

永田 それは面白いですね。これまでの改善活動も、決してトップの号令一下、全部署に対して「効率を上げろ」「無駄を排除しろ」というのではなく、あるテーマを設定したらモデル職場をつくり、試行錯誤しながら解決策を模索するような手段をとってきました。成果が出始めると、自然に噂が広まって「うちもやってみたい」と声が掛かり、徐々に改善の輪が広がっていく。そうしたプロセスを経るからこそ、腹落ちもするし改善への意欲も高まる。DXもそのような形で広められたらと思っています。

最首 結局動かすのは人。人が本気にならなければ、結局何も変えられませんからね。

永田 課長時代に語学留学した米国で「クリティカルマス」という言葉に出会いました。サンフランシスコの街に何千台もの自転車が集まって「自転車に乗ろう!環境にいいモビリティを構築しよう!」という大きな社会運動にクリティカルマスと名前がついていたんです。ある一定の人数を超えると、もうその運動は止められなくなる。そこまで持っていくのが経営の責任でありDXの勘所なのだと思います。

自動運転車が実用化されても、運転の楽しみは守る

最首 トヨタ自動車九州さんは、トヨタのプレミアムブランドであるレクサスの製造で知られています。次の新しい工場は今とはまた違ったものになるでしょうね。どんな青写真を描いているのでしょうか。

永田 今は経営陣の間で話し合いながらイメージを煮詰めているところなので、まだ確かなことは申し上げられません。ただ、モビリティのあり方も多様化していますし、生産するクルマはもちろん、生産方法も大きく変わっていきます。現在とはまた違った趣の工場になるのは間違いありません。

最首 今後、コンピュータのパワーがさらに増し、潤沢な計算リソースが確保できるようになると、何万、何十万もの操業パターンの中から需要の変化に合わせ、最適な一手を瞬時に選べるような生産スタイルが実現できるかも知れません。現に量子コンピュータは実用段階にきており、AIもさらなる発展をみせるとなると、デジタルツインのような工場の操業計画のシミュレーションは容易にできるようになります。技術革新のスピードを考えると、遠からぬ将来、新たな工場として考える先進的な取り組みが現実性を帯びてくる日が必ずやってくるはずです。そう考えると夢がありますね。

永田 そうですね。構想から着工までの間に陳腐化してしまうようでは話になりませんから、すでに利用可能なテクノロジー、近い将来、実現が期待されるテクノロジーを並べ、どんな機能を備えた工場を作るべきか経営陣が膝をつき合わせて議論しています。冒頭の話にもあったように、これからつくるクルマはこれまでとは違ったものになりますし、機能的にも高度化していきます。安全性や品質をどうやって高めていくか、社会のため、お客様のため、社員のために何ができるか、私1人で決めるべきことではなく、チーム一丸となって判断していくべきだと思っています。

トヨタ自動車九州のクルマづくり|トヨタ自動車九州 永田氏とグルーヴノーツ 最首の対談インタビュー

最首 DX、そしてクルマづくりのあり方が根底から変わろうとしている時期だからこそ、かえって不変の価値について考える機会も多いのではないでしょうか。トヨタ自動車九州さんで生産されているレクサスは、今後どのような価値を体現していくのでしょうか。

永田 レクサスのブランドホルダーであるトヨタ自動車の豊田章男CEOは「レクサスは本物を知るお客様が最後に選び、素に戻れるブランド」でありたいと語っていますが、私もレクサスは単にコモディティ化したラクジュアリーなだけのクルマではなく、お客様が最後にたどり着きたいと思っていただけるクルマであるべきだと考えています。安心、安全、快適性を高度なレベルで統合したクルマを作り続けること。それが、われわれトヨタ自動車九州のミッションです。

最首 レクサスはスペシャルなブランドです。世間からの期待も大きいでしょうね。

永田 そうですね。ですから今後も引き続き、開発から製造、アフターサービスまで含めて、販売店と一緒になって、コモディティ化しないクルマを提供していくつもりです。CASE時代に入り、快適で安全な自動運転の実現に社会の注目が集まっていますが、この先、クルマを運転する喜びがなくなるわけではありません。

例えば自動運転の分野でもトヨタは、運転をクルマに任せてバックシートで安心してくつろげるいわゆる一般的な自動運転と呼ばれる技術と、守護神のように寄り添ってドライバーがクルマを操る喜びを、安全面から支える「ガーディアン」の技術の2本柱で、お客様の期待に応えていきます。その実現のためにも、センシング技術や洗練されたヒューマンマシンインターフェイス(Human machine interface)の向上に加え、熟成させた個別技術を束ね、確かな品質保証を実現する人材の育成にも力を注いでいかねばと考えています。

理屈を振りかざすばかりでは、良い結果は生まれない

最首 AIや量子コンピュータを扱っていると、データを放り込めば打ち出の小槌のように答えが出るものだと思われてしまうのですが、グルーヴノーツでは「解決策より議論の提示」とよく話しています。正解は実は顧客の中にある。単純に解決策らしきものを提示するのではなく、上質な議論が行われるように促し、相手の中にある正解を導き出すことが重要だと考えています。実際に解決策を選び、実行するのは人間ですから。

永田社長もおっしゃっていたように、腹落ちしなければ人は動きません。テクノロジーが導き出した結論やデータは、人の心に響くことによって初めて意味あるものになるわけです。やはり人間が中心にいなければなりませんね。

量子コンピュータとAI活用を支援するグルーヴノーツ 代表取締役社長 最首
株式会社グルーヴノーツ 代表取締役社長 最首英裕

永田 同感です。とくに自らが培ってきたものを変えようという局面で、データをもとに正論や理屈を振りかざして説き伏せようとしたり、ロジックで論破したりすることはあまり良い結果を生まないように思います。効率化、合理化はもちろん大切です。しかしその先に社員の幸せやお客様の喜びがなければなりません。DXやデジタルの活用においてもそれを忘れずにいたいですね。

最首 本当の意味でDXを実現するためには、人の重要性が改めて浮き彫りになることがよくわかりました。最後にこれからDXにチャレンジする企業の皆さんに、永田社長からエールを送っていただけませんか。

永田 われわれ自身も悩んでいる当事者。気の利いたアドバイスができるかどうかはわかりません。ただ、悩みを抱えている同士、オープンに議論したり情報共有したりする機会があれば率先して参加されてみるべきだと思います。われわれも、ずいぶん社外の皆さんに話を聞いていただいたり、助けていただいたりしています。困っていることや気付いたことを共有しながら互いに切磋琢磨していくことで、企業のみならず、ビジネス界全体が底上げされていくはずです。

最首 変化の振り幅もスピードも速まる中、自社だけで最適解を見つけるのは至難の業です。競い合うべきところは競い合い、協力し合えるところは協力し合うのはとても有効なアプローチだと思います。

永田 ですからグルーヴノーツさんのような技術やノウハウを持つパートナーには、これからも期待しています。

最首 そうおっしゃっていただけて光栄です。今日は長時間にわたってありがとうございました。

永田 こちらこそありがとうございました。

トヨタ自動車九州の宮田工場の外観から|トヨタ自動車九州 永田氏とグルーヴノーツ 最首の対談インタビュー

構成:武田敏則(グレタケ)