ソニーグループは、2021年3月期の決算で純利益がはじめて1兆円の大台を突破しました。この復活劇の背景には、アニメ映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』や音楽ユニット「YOASOBI」の人気からもうかがえるように、エンタテインメント分野での成功が大きく貢献しています。今回は、ハードウェアとコンテンツの両面からユーザーに感動体験を届ける、ソニーグループのデータ活用の舞台裏について、新規事業開発に携わる山口周吾氏に話を聞きました。
エンタテインメント×テクノロジーで新規事業を創出
最首 ご経歴を拝見すると、多岐にわたる分野で要職をご経験されていらっしゃいますね。
山口氏(以下、敬称略) はい。ソニーに入社して配属されたのはビデオレコーダー部門で、日本とアメリカでビデオレコーダーやDVDなどの映像機器、パーソナルコンピュータ関連製品の製販計画や経営管理などに従事していました。日本に戻ってからは、主にソニー本体やいくつかのグループ会社に籍を置き、経営企画や事業戦略系の仕事に携わっています。
最首 ソニーには数多くの事業分野があります。どんな分野に携わっていらっしゃるのですか?
山口 メインで動いているチームは、音楽、映画、アニメ、スポーツなど、エンタテインメントに絡んだ案件に携わることが多いですね。ソニーグループ内の企業、またはグループ外の企業と手を組み、自社の技術やノウハウ、データを活用した新しいビジネスやサービスをつくり上げるのが私の仕事なので、エンタテインメントに限らず、ヘルスケアや金融関連の事業開発にも携わることがあります。
最首 最近の取り組みをご紹介いただけますか?
山口 はい。昨年、サッカーJリーグの「横浜F・マリノス」を運営する横浜マリノス株式会社とパートナーシップ契約を結びました。ソニーグループが持つ映像技術とデータ分析力、エンタテインメント領域での経験をプロスポーツ選手育成やスタジアムでの観戦体験の充実に活かすためです。すでに、いくつかの施策が動いているのですが、面白い試みとしては、試合や練習風景を捉えた映像から選手の骨格の動きを推定し、指導や練習に活かすような取り組みがあります。
【プロフィール】1992年、ソニー入社。日米でビデオやDVD事業、パーソナルコンピュータ事業の経営管理業務を経て経営企画部門に移り、ジョイントベンチャーの立ち上げや、事業買収、新規事業開発、技術探索など、ソニーグループの事業戦略策定に深く関わる。現在は、音楽、映画、アニメ、スポーツを中心としたエンタテインメント分野のほか、ヘルスケア、金融分野を中心に、ソニーグループ内および他社協業による新ビジネスの創出、スタートアップへの出資、投資業務などに従事する。
最首 映像に強いソニーならではの取り組みですね。
山口 そうですね。映像データと機械学習、さらに生体データを掛け合わせることで、より効果的な選手育成が可能になるのではないかと期待しています。ここで得た知見は、サッカー以外のスポーツ選手やダンサーの養成などにも応用できますし、アーティストマネジメントやファンクラブ運営のノウハウを組み合わせて、高齢者や慢性疾患をお持ちの方に対し継続的な運動を促すような取り組みへの展開も検討しています。一見、関係のなさそうな技術やノウハウを組み合わせることによって、新しい価値を生み出す。それがこの仕事の面白いところだと思います。
最首 かつてソニーといえば、短波ラジオやウォークマン®など、時代に先駆けたハードウェアを通じてブームを起こし、それをカルチャーにまで育てるパワーを持った「メーカー」でした。それがいまやエンタテインメントや金融の世界でも存在感を高めています。あらゆる産業に深く根を下ろすコングロマリットになったいまも、「ソニーらしさ」のDNAが受け継がれていると思うのですが、山口さんはその点をどうお感じになりますか?
山口 変わらないのは「人に寄り添う」ことを念頭に置いたモノづくり、サービスづくりにこだわっていることでしょうね。ここでいう「人に寄り添う」とは「大衆に迎合する」という意味ではなく、100人のうち、2人、3人から圧倒的に支持されるような寄り添い方を指します。マスに対して大きく打って出るというよりは、身近にいる人が喜んでいる姿、楽しんでいる光景を思い浮かべながら、頭をひねり手を動かすイメージです。ニッチで尖ったプロダクトをつくる。ここにソニーらしさの源泉があると思っています。
最首 尖ったモノづくりへのこだわりは、最近の新製品、たとえばスマートフォンのXperiaTMやデジタル一眼カメラのαTMを見ても伝わってきます。実際、若い世代に支持されるソーシャルメディアとの連携を意識した開発コンセプトが話題を呼んでいます。
山口 そういっていただけるのはうれしいですね。ソニーのパーパス(存在意義)は「クリエイティビティとテクノロジーの力で、世界を感動で満たす」です。Xperiaやαと同様、アニメでいえば「鬼滅の刃」、音楽でいえば「YOASOBI」なども、ソニーのパーパスが根底にあると思っていただいてよいと思います。
最首 2000年代から2010年代まで、ソニーにとっては非常に厳しい時代でした。おそらく、その当時、試みられたであろう無数の試行錯誤や挑戦が2020年代に入って、歯車がうまく噛み合ったような印象を受けます。21年3月期の決算では、純利益が1兆円を超えたそうですね。
山口 はい。コロナ禍で巣ごもり需要が増え、ゲームや音楽、映像事業が伸びたことが全体の業績を後押しする結果になりました。しかし、それだけでは好業績の背景を十分に説明できているとは思いません。最首さんのご指摘どおり、厳しかった時代にも、将来性がある複数の事業領域に対して投資を怠らなかったことが、いま目に見える形で実を結びはじめているのだと思います。
ユーザーの動態を断面ではなく流れで捉える時代に
最首 コロナ禍や少子高齢化のような大きな流れが、社会にどのような影響をもたらすか、どなたもある程度は見えているし、感じているはずです。人口減少も嗜好の多様化も人類が少なくとも望んだ結果ですから。しかし、少ない人数で快適な生活を維持するにしても、必要な道具立てや辿るべきルートは無数にあります。漠然と感じている未来の姿、そしていま取り組むべき課題にハッキリとした輪郭を持たせたいという願望が、いまほど高まっている時代はないのではないでしょうか。実際、私たちのもとにも、将来への不安感を科学的なプロセスによって手応えのある仮説へと昇華させたいと願う企業から引き合いが増えています。
山口 1つの方程式ですべての課題を解けるほど、世の中は単純ではありませんし、変化のスピードも速いですからね。多様な価値観、多様なニーズに対してどのように寄り添っていくべきか、私たちを含めて多くのみなさんの関心事だと思います。
最首 ソニーは事業分野も多岐にわたり、事業単体でも大企業並みの規模を誇るグローバルカンパニーです。しかも自社内にハード、ソフトの開発力にも長けていらっしゃる。データ活用についてはどのような姿勢で取り組んでいらっしゃるのですか?
山口 ハードウェアとユーザーが対になったデータについては、事業組織ごとにかなり活用が進んでいます。ただ、ユーザーをとりまく環境データやフィジカルデータと組み合わせたデータ活用については、まだまだ伸び代があるというのが正直なところです。たとえばコンサート会場で売られるグッズは、たいていキリのいい価格設定がされています。それは現金販売を前提にしているためです。現金販売の方がスタッフのオペレーションを軽くできるというメリットがある反面、誰が何をどれだけ購入してくださったか、遡って分析することはできません。
もし仮に、来場していただいたお客様の会場内での動き、もっといえばご自宅から会場、会場からご自宅に戻られるまでの行動を分析することができたとしたら、ロイヤルカスタマー向けにまったく新しいサービスをお届けできるようになるかも知れません。もちろんプライバシーへの配慮は欠かせませんし、企業がどこまでユーザーデータを取得していいのかという議論はあるでしょう。しかし程度の差こそあれ、外部データとの連携によるサービスの強化は時代の趨勢だと思います。
最首 すでにネット上では、複数のデータを組み合わせて分析したり、ユーザーの振る舞いや行動を時系列に沿って捉えたりする取り組みは当たり前に行われています。しかしオフラインのフィジカル空間では、せっかく苦労して集めたデータもユーザーの過去の一瞬を切り取った断面として捉えるに留まるケースが大半です。
山口 確かに。おっしゃるとおりですね。
最首 いまはまだ、データとデータの「行間」は、一部の先進的な事例を除くと、間接的な調査と人間の想像力で埋めていくほかありません。しかし今後、セキュアなデータ環境と強力なコンピューティングパワーが揃えば、データを一連の流れとして解釈することが当たり前になるはずです。たとえばソニーのαに魅力を感じる層は、AよりもBというカフェに立ち寄りがちで、全国展開するチェーンストアCより、個性的な品揃えのDやEという小売店で生活用品を買う機会が多いことがわかったら、製品企画やマーケティング施策に新しい切り口を与えるかも知れませんよね。
山口 そうですね。以前、大手小売業の代表とお話をしたとき、似たような話題が出たことがありました。その方がおっしゃるには、「コンビニエンスストアのマネジメントに携わる人は、どうしても同業他社との差異化に固執しがち。しかしお客様は都心の有名デパートにもいけば100均にもいく。そこをちゃんと通して見なければならないのに、それがなかなかできていない」と、いま抱えておられる課題意識を明かしてくださったことがありました。
最首 まさにそうした課題を解決しようと、いま開発を進めているサービスが、弊社の「City as a Service(シティ・アズ・ア・サービス)」です。このサービスは、都市全体をサービス空間として捉え、匿名処理されたクレジットカードの購買データをベースに、気象データ、道路交通データ、人口動態などの公共データと組み合わせ、都市でいま何が起きているかを可視化するサービスです。具体的にはどのような属性の人々が、何を目的に、どこに集まり、何に対してお金を支払い、どこに向かって流れていくかといった多様な情報をダッシュボード上に集約。多面的な分析ができるようにしたいと考えています。生活者の消費動向にはもちろん、自治体による観光客の誘致施策の立案、都市機能の最適な配置の検討などにもお使いいただけるようにするつもりです。
山口 なるほど。面白そうな取り組みですね。
最首 ありがとうございます。一連の流れのなかで明らかになったロイヤルカスタマーの実像に合わせた効果的な施策が、結果的に大多数を占める一般顧客にも良い影響を与えるのではないかと考えています。
山口 コニカミノルタからカメラ事業を継承した後、関係者が手分けして世界的なフォトグラファーの意見を聞きに歩いたことがありました。彼らがロイヤルカスタマーになってくださるために必要な条件を知るためです。実際にカメラを買ってくださる大多数は一般顧客です。マス向けの市場調査で済ませれば、売れる商品がつくれるという考え方もあると思います。でもそれだけでは尖ったモノづくりはできません。トップクリエイターが何を考え、何を見ているかを知る必要です。
最首 おっしゃることはよくわかります。
山口 特に日本人は思ったことをストレートに言ってくださる方は少数ですから、アンケートの結果を鵜呑みにはできません。その上、数字には企画を通しやすくするパワーがあるので、恣意的にデータを扱ったり、解釈を誤ったりすれば、誰しもニーズにそぐわないものを世に出してしまう危険は常にあるといくこと。データを扱う上ではもっとも気をつけなければならない点だと思います。
最首 とりわけ最近はデータの数を集めようと思えば、いくらでもデータが集められる時代ですからね。
山口 ええ。ですから今後はデータの量より、むしろデータの集約度、最適な分析手法の選択が、モノづくりやサービスづくりにおける勝負の分かれ目になってくるのではないかと感じています。
データ活用で様変わりするコンテンツ制作の現場
最首 先ほども触れていただいたように、生活者の消費行動ひとつ取っても複雑化しており、それらを子細に読み解く仕組みづくりが望まれています。山口さんが携わっておられるエンタテインメント領域でのコンテンツづくりの現場ではどんな変化が起こっているのでしょうか?
山口 エンタテインメントの世界も大きく変わりました。家族がリビングに集まってテレビの前に座り、同じ番組を見て楽しむ時代はとうの昔に終わり、いまは視聴するデバイスもメディアもコンテンツも細分化が進み、可処分時間の奪い合いが起きています。当然、データをコンテンツづくりに活かそうという動きは加速しており、アメリカのレコード会社のなかには、所属ミュージシャンが自身のスマートフォンで、常に最新の楽曲売上を把握できる環境を整えているところもあるほどです。
最首 コンテンツ開発のアプローチやプロセス自体も変わっているのでしょうか?
山口 そうですね。たとえばミュージシャンがプロデビューするまでの流れも大きく変わりました。一昔前であれば、候補者は東京でオーディションを受けてもらい契約するかどうかを決めていたものですが、最近ではすっかり様変わりしています。たとえば、SNS上で話題になっていたり、アクセスが集中したりしているアカウントを自動的に検出し、アーティストとして将来性が見込めそうなら、すぐにアカウントにアプローチして契約を結ぶようなケースも珍しくなくなっています。楽曲制作やプロモーション方針についても、音楽ストリーミングサイトのトレンドデータを参照しながら決めることも当たり前になりました。
最首 想像以上にデータ活用が進んでいるのですね。驚きました。
山口 チャレンジングな取り組みはこれ以外もたくさんあります。とはいえデータをフル活用してすべてを計算し尽くせば、多くの人に喜んでいただけるコンテンツが100発100中でつくれるかといえば、そんなことはありません。データやテクノロジーの活用は成功の確率を上げるための道具に過ぎないからです。「人間の存在とは?」「欲求の源はどこにあるのか」といった、哲学的で根源的な問いを同時に掘り下げていかなければ、優れたコンテンツは生み出せません。エンタテインメントの奥深さを感じるところです。
最首 人間の多様性を感じさせるお話ですね。グルーヴノーツとお付き合いのある流通業の方とお話していると「100人中100人がほしいと思うものだけを置いた店は必ず潰れる」という話をよく耳にします。多くの人は、たまご、牛乳、トイレットペーパー、冷凍食品しかない店に、あえて足を運ぶ理由を見出せないからです。
山口 なるほど。どこでも手に入れられるわけですから、あえてその店にいく必要はないですからね。
最首 そうなんです。だからこそ多くの小売店のバイヤーや売場責任者は、限られた棚に何を置くべきか、商品選定やバランスに知恵を絞るわけです。しかし社会の多様性が増すなか、本気で一人ひとりに寄り添った品揃えを実現しようと思うと、膨大な商品の特性と組み合わせを検討しなければならなくなり、すぐに人間の手には負えない計算レベルになってしまいます。私たちがAIや量子コンピュータを使ったサービス提供するようになったのは、一人ひとり違って当然の人間の願いや思いを実現するのに、有用なツールだからと考えたからなのです。
山口 商品のレコメンデーションにしても精度が低ければ、うんざりさせられるばかりですし、かといって売り手の都合を全面に出されたのでは買う気が削がれてしまいます。これからは、人間にはとうてい考え尽くせないレベルで計算を重ねながらも、それを感じさせないような洗練されたテクノロジーの使い方が求められてくるでしょうね。私がいま考えているひとつに、エンタテイメントにおけるデジタルツインの活用があります。ソニーがつくる仮想空間上に、お客様はアバターとして参加できるようになるわけですが、その際に全員が同じ空間にいるだけではなく、お客様一人ひとりに応じた空間を提供できるのではないかと考えています。誰にどう喜んでいただきたいかを真摯に考え、そこに適切なテクノロジーを当てはめようとしています。
最首 面白そうですね。では最後の質問です。山口さんはお仕事柄、最先端のテクノロジーに触れる機会が多いと思います。技術選択や活用法を検討するにあたって上で大切にされていることがあれば聞かせてください。
山口 ソニーグループには事業の大きさもさることながら、多様な業種、多様なビジネスモデルを持つ企業体です。ビジネス環境もどんどん変化します。そうした状況のなかで1つ重要なポイントを挙げるなら、いち早く小さな失敗を経験することだと思います。
最首 なるほど。大規模な仕組みを入れる前に、小さく試して可能性を見極めるわけですね。
山口 そのとおりです。テクノロジーの活用を前提とする事業開発において、マネジメントが果たすべき役割は、いついかなるタイミングで実戦投入すべきかを見極めることです。ですから、最新テクノロジーだからといって現場やベンダー任せにせず、適時的確なジャッジを下せる程度の知識は身に付けるよう努力しています。
最首 ありがとうございます。今日は業績好調なソニーの復活劇を裏付けるようなお話を聞くことができてとても楽しかったです。
山口 こちらこそ、ありがとうございます。これからバーチャル、フィジカル両面で扱えるデータ量も増え、それに合わせて質の高い高度な分析手法が求められるのは間違いありません。これを機会に何かご一緒できる取り組みもあると思うので、引き続き情報交換していきましょう。
最首 そうですね。これを機にお付き合いを深めていければと思います。本日はお時間をいただきありがとうございました。
山口 こちらこそありがとうございました。
構成:武田敏則(グレタケ)