左:キユーピー株式会社 生産本部 未来技術推進担当 テクニカル・フェロー 荻野武氏
右:株式会社グルーヴノーツ 代表取締役社長 最首英裕

1919年創業の食品メーカーの老舗、キユーピーはいま、先端テクノロジーによって自社の業務フローを大きく変えようとしています。しかし、意外なことにこうした取り組みのいくつかは「必ずしも自社の成長にのみにフォーカスしたものではない」と、同社の生産本部 未来技術推進担当 テクニカル・フェローを務める荻野武氏は話します。IT、量子コンピュータ、AI、IoT、ロボットなどを活用した同社のスマートファクトリーを構成する技術やノウハウは、広く食品業界全体で利用されることを念頭に開発されているからです。なぜキユーピーは、各社が開発にしのぎを削る先端技術活用のノウハウを惜しげもなく提供しようとしているのでしょうか。グルーヴノーツ代表取締役社長の最首英裕がその真相に迫ります。

かつて隆盛を誇った電機産業の凋落を目の当たりにして感じたこと

最首 今回はキユーピーさんを筆頭に、先頃発表された、弊社を含む13社が参画する政府研究開発プロジェクト『令和2年度革新的ロボット研究開発等基盤構築事業 食品製造分野』の取り組みを踏まえ、御社と先端テクノロジーのかかわりについて伺えればと考えています。本日はよろしくお願いいたします。

荻野氏(以下、敬称略) こちらこそ、よろしくお願いいたします。

<グルーヴノーツとキユーピーのかかわり>
2020年9月28日、キユーピーを主体とする業界横断型のプロジェクトチームは、ロボットフレンドリーな環境の構築を目指す、経済産業省が推進する政府研究開発プロジェクト『令和2年度 革新的ロボット研究開発等基盤構築事業』の「食品製造分野」部門に採択され、現在、惣菜盛付作業の機械化、ロボット導入による生産プロセス最適化に取り組んでいます。グルーヴノーツは、本事業において「量子コンピュータによる人とロボットの混在シフト高速計算」や「AIによる需要予測と協調領域データレイク検討」を担当しています。詳しくはこちら

最首 本題に入る前にぜひお聞きしたいのですが、荻野さんは日立製作所を経てキユーピーにご入社されました。なぜ電機業界から食品業界にこられたのでしょうか。理由を聞かせていただけますか?

荻野 少々大袈裟に聞こえるかもしれませんが、日本企業の競争力に危機感を覚えたことがきっかけです。私が日立製作所にいた当時、年商4000億円を稼ぎ出していた最大規模の工場が、90年代を境に中国や韓国など当時の新興国のメーカーに追い上げられ、閉鎖されるのを目の当たりにしました。当時の大先輩からも「このままでは日本の電機産業は全滅してしまう。合従連衡しなければいけない」と聞かされていましたが、そのときはエンジニアであった私にとってはピンと来るものではなかった。いま振り返ると、それは重要な考えであったとわかります。

キユーピー株式会社 生産本部 未来技術推進担当 テクニカル・フェロー 荻野武氏 

そうこうして、国内外での新規事業開発経験を経て、大学院で経営学を学ぶ中で形になりつつあった、自分なりの経営戦略論を、ぜひビジネス現場で生かしてみたいと考えていたところ、声をかけてくれたのがキユーピーでした。当時キユーピーは創業100年を間近に控え、新たなテクノロジーの導入にも積極的に取り組む決意を固めていたこともあり、入社を決めたわけです。

最首 いま日本企業の競争力に危機感を覚えたとおっしゃいました。具体的にはどのような点を危惧されたのですか?

荻野 企業倫理として安心・安全の担保や、機械化が確立されれば、どこの国の製品であれ、顧客ニーズの把握から生産、流通までのリードタイムを短くできた企業が、市場のなかで優位なポジションを得ても不思議ではありません。しかしもし日本企業がこうした動きに先駆けて自らを変えられなかったらどうでしょう。国内の全産業が総崩れに陥る可能性も否定できないのではないかと考えました。

ちなみに、私が手掛けたプロジェクトには、大きな成果を残したものもあれば、もちろん変革には至らなかったものもあります。実は経営学を修得する際に、自身の成功と失敗に関してすべての経営戦略論、つまりM.E.ポーターやC.クリステンセン、J.A.シュンペーターなどあらゆる理論と照らし合わせて分析を行ったんですね。そのとき判明したのは、すべての経営戦略論は重要だが充分ではなく、やはり実行性に欠けている。だから、自らを変えて行動に移すという実行性を担保する経営戦略論「トワイライトオーシャン戦略論」を作成しました。160ページに及ぶ大作として大学の秘蔵論文にもなっていますが、いまあるプロジェクトは基本この理論に基づいています。

最首 なるほど。競合として敵対しあうだけではなく、業種や地域・国の枠を超えて必要なところで協働する、アライアンスの姿勢が大切であるということですね。また、論理的に推論を重ねていくとそうした危惧を抱かれるのは当然のことかもしれません。しかし多くの人は多少の脅威を感じたとしても、どこかで「日本は大丈夫」だと楽観的に構えていますね。

荻野 そうなんです。私の世代を含めいまを生きる日本人の大半は、自国がデフォルト(債務不履行)の危機に直面するような経験をしたことがありません。ですから想像することすら難しいのだと思います。だからこそ危ないのではないかと思ったわけです。

最首 ITや半導体などと比べると、食品業界は変化が少ないようにも感じる人も多そうです。しかしコンビニやスーパーの陳列棚を見ると小分けされたパッケージなど、趣向を凝らした商品が数多く並んでいます。時代の変化に柔軟に対応していかなければならないのは、食品業界も変わりないように思いますが、実際のところはいかがですか?

株式会社グルーヴノーツ 代表取締役社長 最首英裕美、キユーピー株式会社 生産本部 未来技術推進担当 テクニカル・フェロー 荻野武氏との対談

荻野 そうですね。とくに食品業界は、消費者に健康被害をもたらすことがないよう衛生管理には万全の体制を敷くため、多くの時間と予算を費やします。われわれにとっては当たり前の取り組みですが、もしこうした既存のプロセスをショートカットするテクノロジーなり手法なりが海外で確立されたとしたら、企業の大小を問わず太刀打ちできなくなってしまう日本企業が続出するでしょう。しかもいま最首さんが指摘されたとおり、市場のニーズにマッチするよう、嗜好の多様化に対応する必要もありますし、これから労働人口は確実に減少します。現実はさらに複雑といえそうです。

最首 とくにキユーピーさんは、われわれがよく店頭で目にするマヨネーズやドレッシングのような商品に加え、お惣菜や業務用食品も手掛けていらっしゃいますよね。私も以前、ある工場の生産システムにかかわったことがありますが、ロットごとに原材料の配合が変わるような多品種少量生産に対応する必要があり、かなり苦労した記憶があります。

荻野 まさに最首さんがおっしゃるとおりで、これまでの歴史の積み重ねによりマヨネーズ、ドレッシングなどの調味料系の生産工程は、これ以上改善の余地がないと思えるほど洗練されています。しかしその一方で、惣菜系の商品は種類、品数が多く、食材一つひとつの形状、材質にも個体差があることから機械化がほとんど進んでいません。もちろんこれは弊社だけの問題ではなく、国内に約5万社あるとされる食品業界全体の課題でもあります。

最首 いま御社ではどれくらいの方々が惣菜盛り付け業務に従事されているのですか?

荻野 弊社だけで数千人ほど。食品業界全体で60万人から70万人が携わっているとみられています。

最首 そんなにたくさん!

荻野 このほかにも、熟練と集中力が求められる食品材料の検査にも多くの人手を必要とします。いまの時代、寒さに耐えながらの立ち仕事を許容してくださる人は限られていますから、人員の補充も容易ではありません。また、熟練者の方もいずれ定年を迎えることになるとすれば、事業継承という課題も顕在化しています。なり手が少なく、直接労務費率が高い業務をいかに合理化するか。多くの食品メーカーが悩んでいるこうした課題を解決し、自社のみならず食品業界の経営状況を底上げと、従業員がやりがいをもって取り組める仕事に従事できるよう最適配置を実現するというのが、キユーピーが目指す先端テクノロジー活用の基本方針といえます。

キユーピーが食品業界のテクノロジー活用を支援するわけ

最首 食品メーカーに限らず、多くの企業は自社の生き残りに必死でなかなか「敵に塩を送ろう」とは思わないものです。先端テクノロジーを自社だけで利用するのではなく、業界全体の底上げに生かそうというのは非常にユニークな発想ですね。

荻野 私自身、前職で海外勢力の強烈な追い上げによる自社ビジネスの消滅と業界の凋落を経験していますし、キユーピーのビジネスモデルは、消費者を対象としたBtoCと食品メーカーを顧客とするBtoBtoCの両輪で成り立っています。つまり食品メーカーはライバルであるとともに、われわれにとって重要な顧客でもあるわけです。業界の底上げは結果的にわれわれの利益にもつながるものだと考えています。

最首 だからこそ、業界通じて共同で利用できるスタンダードな惣菜盛り付けロボットの開発に挑まれているわけですね。

荻野 そのとおりです。非常に雑ぱくな見立てで恐縮ですが、もし社内で10のAIシステムを開発するのに最低5人のAIエンジニアが必要だとすると、5万社で250万人のAIエンジニアがいる計算になります。実際にはこうした数字にはならないにせよ、個社ごとにシステム開発を行っているようでは、リソースや投資のジレンマから脱却できないのは間違いありません。それなら協調領域は一緒に開発したほうが効率的ですし、われわれと同じ課題を抱える中小食品メーカーでも導入しやすい価格帯のロボットシステムが実現すれば、食品業界全体の最適化という理想にも適います。だからこそ今回は国の支援を受けながら、量子コンピューティングの分野ではグルーヴノーツさんを、さらにロボティクス、FAシステム、制御部品、食品開発、流通分野で独自の知見をお持ちの各社にお声がけしたわけです。

株式会社グルーヴノーツ 代表取締役社長 最首英裕美、キユーピー株式会社 生産本部 未来技術推進担当 テクニカル・フェロー 荻野武氏との対談

最首 グルーヴノーツは、より大きな社会課題の解決を通じて、ビジネスに貢献することを常に考えているので、こうした取り組みにお声がけいただき非常に光栄に思っています。

荻野 こちらこそ、お話しをお受けいただき感謝しています。いま世界では量子アニーリングやイジングマシンの開発競争が進んでいますが、グルーヴノーツさんのようにハードウェア開発競争に与せず、使いやすいユーザインターフェースやビジネス活用を見据えたアプリケーション開発を行っている企業は世界的に見ても例がありません。だからこそお声がけさせていただいたわけです。

最首 ありがとうございます。こういう言い方をすると少々語弊があるかもしれませんが、私たちにとって量子コンピュータもAIも課題解決を通じて社会的をよりよくするための道具であって、その実現に有用だから使っているに過ぎません。だからこそ適用のしやすさ、使いやすさを追求しなければと思っているんです。

荻野 むしろそうした割り切りがとても大切なんだと思います。私も長年技術に携わってきたのでよくわかりますが、特定の技術にこだわりを持って取り組むことは大事なことですが、ひとつの技術に固執し過ぎるとスペックの向上といった、技術の進歩を構成する一側面心を奪われてしまいがちです。だからこそ課題解決に集中されているグルーヴノーツさんの取り組みは希少なんだと思います。

最首 お金儲けも大事ですが、それだけに終始していては本質的な課題解決には辿り着けません。

荻野 同感です。ひと昔前はネットワークを開通するのに非常に大掛かりなプロジェクトを立ち上げなければいけませんでしたが、今はLANケーブルを挿すだけ。ユーザーにとっては、その技術の中身を知らなくても使いこなせる時代になっていくべきだと思います。

数年前から行っている食品原料検査の自動化プロジェクトでは、良品の条件を細かく定義し、それ以外を不良品や夾雑物と見なすAIアルゴリズムを採用しました。エンジニアが不良のパターンを登録せずとも高精度な検査システムを確立したかったかからです。もっと解決すべき課題の抽象度を高めていけば、製造現場における予兆診断のような使い方だけでなく、経営状況や社会の微細な変化を捉えて警告を出すような応用もできるかもしれません。

株式会社グルーヴノーツ 代表取締役社長 最首英裕

最首 われわれのようなSaaSサービスは、必要な機能を汎用化して開発効率を上げながら網羅性や利便性を高めていくことで、誰でも使えるものを提供するというフィロソフィがあります。また、AIは人間に取って代わるという論調も、AIはあくまでも「特徴計算機」であるというのが今の正しい理解だと。その点、荻野さんは特徴計算機の使い方がとてもお上手だと思います。

荻野 実は、グルーヴノーツさんのMAGELLAN BLOCKS(マゼランブロックス)を私自身使っているのですが、ニーズを見事に捉えたかゆいところに手の届く機能が用意されていたりと、サービス設計や業務理解のレベルが非常に高いと感銘を受けました。ですから、今回の惣菜盛り付けロボットの開発もグルーヴノーツさんと一緒に、食品業界全体、ひいては社会の進歩に貢献できるものにしたいと考えているんです。

「助け合い」と「共創」こそがイノベーションを促すカギとなる

最首 日本人であればだれしも馴染みのあるキユーピーさんが、ここまで量子コンピュータやロボットなどのテクノロジーについての見識をお持ちで、ビジネスを通じて業界貢献に尽力されているのを知って驚かれる方は多そうです。

荻野 そうかもしれません。われわれにとってテクノロジーの使い途はふたとおりあって、まずは工場で事故を起こさないための安心・安全を担保する用途と、もうひとつが業務や経営の効率化と適材適所を実現する「活人化」につながる用途です。こうした「守り」と「攻め」の両方がないと、社会の変化、時代の変化に対応していくのは難しいのですが、すべてを自前で賄うのは現実的ではありません。だからこそ志を同じくする企業と協力しなければならないのです。

最首 今回のコロナ禍で多くの方が、社会は一瞬で変わってしまうことを痛感されたのではないかと思います。その一方で、テレワークやウェブ会議といった、そもそも人間が潜在的に願っていていたことがここにきて実現されつつある状況を見て、前向きな変化を感じている方も多いはずです。これを機に価値観を共にする人々が手を組めば、個人では到底太刀打ちできない大きな社会課題に立ち向かうことができるし、困難な状況を変えられると考える方が増えたとしたら、不幸中の幸いといえるかもしれません。

荻野 そうですね。トランスフォーメーションとしての「DX」は、「D」は一つの手段であって「X」のほう、つまりトランスすること、超越することのほうがはるかに重要です。そう考えるとアナログ的な取り組みの「A」をトランスこと、「AX」も必要なんですよ。

「生き残るのに必要な条件は、強さでも賢さでもなく、変化できる柔軟性を持つことが重要だ」といいます。私たちに問われているのは、デジタルもアナログも上手に活用して、自らをよりよく変化させ、人間らしい働き方や暮らし方を実現することなんだと思います。

株式会社グルーヴノーツ 代表取締役社長 最首英裕美、キユーピー株式会社 生産本部 未来技術推進担当 テクニカル・フェロー 荻野武氏との対談

最首 同感です。つい最近まで、機械の性能がさほどでもなかったため、人間が機械に合わせるほうが現実的でしたが、いまは機械の性能が上がり人間に機械が合わせるほうが合理的な時代になろうとしています。私はこれからテクノロジーの進歩によって、一人ひとりが違っていてもその違いが許容される時代になると考えているのですが、荻野さんは、未来をどのようご覧になっていますか?

荻野 すでにその兆しは見えていますが、これからの社会は「VUCA」(Volatility/変動性、Uncertainty/不確実性、Complexity/複雑性、Ambiguity/曖昧性)がいま以上に加速し、ますます予測困難な時代に入っていくと思われます。ですから将来予測に力を割くよりも、いまを大切にすること、そして多くの人たちとの共創によって生み出された富を公平に分かち合う世界を築くべきだと考えています。内向きの競争を止め世界に目を向けること、そして利己ではなく利他の心を育むべきでしょうね。

最首 荻野さんがおっしゃる共創は、人間という種が社会性を育むことで生き延びることができたことに根ざす行為といえそうですね。

荻野 そうです。助け合う力があったからこそ、われわれホモサピエンスは知能と体力に優れたネアンデルタール人との競争に勝つことができました。社会をよりよくするイノベーションも協働を前提にすべきというのは、おそらく間違いない選択だと思います。

最首 本日は素晴らしいお話しをありがとうございました。

荻野 いえいえ、こちらこそありがとうございました。われわれとしてもAIや量子コンピュータに関する知見を高めていきたいと思っていますので、ぜひこれからもお知恵をお貸しください。

最首 もちろんです。これからもご一緒できればと思っています。

荻野 今後ともよろしくお願いいたします。

最首 こちらこそよろしくお願いいたします。

 

【プロフィール】
荻野 武氏 キユーピー株式会社 生産本部 未来技術推進担当 テクニカル・フェロー
同志社大学工学部電気工学科卒業後、日立製作所に入社。中央研究所で、半導体、撮像素子、電子回路の研究に携わった後、この研究成果を持って、事業部門で開発、設計、SE、商品企画などを担当。米国シリコンバレーに赴任し、日立初のインターネットコマース、日立初のクラウドサービス型サーベイランス事業、DVDカメラ事業など、各種新規ビジネスを立ち上げる。帰国後、脳科学を基盤とする新規事業の立ち上げ、新興国都市開発、新規事業のインキュベーションなどを経て、2016年4月にキユーピーに転じる。現在、次世代・未来技術の推進担当として、AIをはじめとする各種次世代技術のビジネス実装に取り組む。早稲田大学院MBA・MOT

構成:武田敏則(グレタケ)