生活になくてはならない石油やガスの精製や化学製品の製造プラントの建設を数多く手掛けている日揮グループ。地球温暖化対策や環境保全を通じて社会と向き合いながら社会基盤を支え、ビジネスを拡大するという難しい舵取りが迫られるなか、日揮グループはどのようにデジタル活用を進めているのでしょうか。今回は日揮ホールディングスのCDOを務める花田琢也氏にお話を伺いました。

2018年4月、異色の経歴を持つCDOが誕生

最首 日揮グループさんというと、石油化学系の製造プラント建設では国内有数の企業です。私たちの生活になくてはならない産業を担っていらっしゃるわけですが、普段の生活からは、なかなかお仕事振りをうかがい知ることはできません。今回はそうした社会基盤を支える日揮グループさんが、デジタルテクノロジーやITにどう向き合い、活用されているのかについてお伺いできればと思っています。

花田氏(以下、敬称略) 承知しました。われわれがプラント建設に赴くのは、海外の場合ですと、その多くは石油やガスが採れる砂漠地帯やツンドラ地帯など人里離れたエリアです。一般の方にはあまり馴染みがないのも当然かも知れません。ましてやデジタルテクノロジーやITとどう向き合っているか、ご存じない方が大半だと思います。われわれ自身もまだまだ試行錯誤しながらの取り組みです。お手柔らかにお願いします。

日揮ホールディングス株式会社 常務執行役員 CDO(最高デジタル責任者) 花田琢也氏    (同社オフィスビルの最上階から横浜港を背景に)

【プロフィール】1982年、日揮に入社、石油・ガス分野の海外プロジェクトや事業開発分野に従事。1995年より、トヨタ自動車出向、海外の自動車工場建設プロジェクトに参画。2002年、NTTグループとライフサイエンス系e-コマース事業「トライアンフ21」を設立、CEOに就任。2008年、日揮グループの海外EPC拠点JGC Algeria S.p.Aに赴任、CEOに就任。2012年帰国後は、石油・ガス分野の国際プロジェクト部長、事業開発本部長を経て、2017年より、経営統括本部人財・組織開発部長に就任して人財開発に従事。2018年、データインテリジェンス本部長 CDO就任、2021年、エンジニアリングソリューションズセンターのプレジデントを兼務。

最首 こちらこそよろしくお願いします。早速ですがご経歴を拝見すると、長年海外のプラント建設プロジェクトに関わられた後、ビジネス開発に携わられ、異業種との合弁会社やアルジェリア現地法人のトップも務めた経験をお持ちです。しかも現在、CDOと人事部長を兼務されるという、かなりユニークなご経歴とお見受けします。

花田 何しろ頼まれるとノーとは言わない性格なものですから、そのときどきでいろいろな仕事が回ってきました。私がCDOに指名されたのは、日揮グループの主要な事業ドメインであるEPC(設計/Engineering・調達/Procurement・建設/Construction)事業以外の経験を持つ人間が適していると経営陣が判断したからと聞いています。

最首 なるほど。花田さんのようにビジネス経験豊富な人物をCDOに充てたということは、特定の業務のデジタル化にとどまらず、デジタルによって会社を変革し、新たな事業、ビジネスにつなげてほしいという経営陣の意欲の表れなのかも知れません。

花田 最首さんのお見立てとおり、経営陣は覚悟を持ってデジタル変革に臨んでいます。ではなぜ経営陣が強い意志を持って変革に臨む覚悟を決めたのかと申しますと、あるお客様からの助言がきっかけだったと聞きました。

最首 どんなきっかけだったのですか?

花田 私がCDOに指名される前の年、経営TOPが、アメリカ石油大手のエクソンモービル社を訪問しました。その際、先方からこう言われたそうです。「近い将来、いまの1/3の人員で、なおかつ倍のスピードでプラント建設する時代が来るであろう」と。もしそれを達成できなければ「あなたたちの会社は、10年後にダイナソー(恐竜)になってしまいますよ」と言われたそうです。

最首 それほど大きな変革が迫っていると。

花田 ええ。カーボンニュートラルを勝ち抜くことはわれわれの業界全体にとって、喫緊かつ重要な課題です。米国からの帰国後、こうした課題を乗り越えるには、AIやIoTなどの新しいテクノロジーやデータを使いこなすだけでなく、ビジネスモデルをも変える気概が必要だと悟った経営陣から「このままだと競合はおろか取引先の背中も見えなくなる。デジタルジャーニーへの手を打て」と言われ、CDOの職責を引き受けることにしました。

社内に点在するIT部門を集約。「ITグランドプラン2030」を策定

最首 2018年4月にCDOに就任されて、何から着手されましたか?

花田 まずは、社内に点在していたIT関連部門を、新設したデータインテリジェンス本部に集約することからはじめました。20代、30代の若手を中心にデジタル適性のあるメンバーを集め、まず取り組んだのは2030年の日揮のあるべき姿「ビジョン2030」、そして、このプランを実行フェーズに落としたロードマップ「ITグランドプラン2030」の策定でした。普通であれば、稼ぎ頭の事業部門から、新設部門に人材を引き抜くのは苦労が伴うものです。しかし今回は経営陣からの明確な後押しと、私自身が人事部長を兼務していることもあって、ごく早い段階で組織を固めることができました。組織づくりに関しては、非常に恵まれた環境だったのではないかと思います。

ITグランドプラン2030・5つのイノベーションとロードマップ

最首 EPC事業におけるデジタル変革の難しさはどこにあると見ていらっしゃいますか?

花田 プラントは世界中に存在しますが、どれひとつとして同じものが存在しないという点です。再現性が高いシーンでソフトウェアやデータをうまく活かし、プラント設計の自動化や製造工程のモジュール化、3Dプリンタの活用などにつなげていくには、乗り越えるべき壁は少なくありません。

最首 ベテランエンジニアの経験と勘に依る部分も多そうですね。

花田 まさにそうです。プラントの配管レイアウトを設計するベテランエンジニアに言わせると「配管内を通る気体や液体の気持ちになってデザインする」のだそうです(笑)。私がCDOに着任してから、複雑さを極める配管レイアウトをAIによって自動化する取り組みもはじめていますが、その域に到達するまでにはまだ時間がかかりそうです。

最首 それはまた、すごい世界があるものですね。

花田 こうなるともはやアートの領域です。この業界には、この手の暗黙知がまだたくさんあるのです。少しでも、定量化、形式知化していく必要があるのですが、プラントの企画から竣工までの期間を短縮する大命題もあります。水素やアンモニアといった新エネルギーのエネルギー変換効率は化石燃料より低いため、中小規模のプラント建設のニーズは将来増加するという見方もあります。また業務の担い手である若年層の人口は減少する一方です。これまでエンジニアを一人前に育てる期間は10年程度かかっていましたが、近い将来、そんな悠長なことを言っていられなくなる日がくるでしょう。限られた人員で如何にして効率的に業務を遂行するか。バランスを取りつつ、一歩一歩前に進めている状況です。

最首 プラント業界は、比較的安定していると思っている人が聞いたら驚くようなお話ですね。

花田 そうですね、とはいえ、変革の難しさを理由に過去のやり方に固執しているわけにはいきません。だからこそテクノロジーやデータの活用が必要だと考えています。

最首 かといって、結果を急ぐあまり形ばかりのデジタルトランスフォーメーションに翻弄されるわけにはいきません。気をつけておられることがあればぜひお聞かせください。

花田 業務と人選の良好なマッチングを図るために、人間の行動特性となるソーシャルスタイルを掴んだ上で、その人の適性や志向にマッチした業務を充てることにも挑戦しました。たとえば感情や思考の開放度が低く、集中して物事に取り組むことが得意な人には研究や分析系の仕事、逆に他部署を巻き込むようなビジネス開発系の仕事には逆のタイプの人を充てるという具合です。アンケートで分析したところ、当社のITエンジニアは、場の空気を読み臨機応変に対処することは得意な人が多い反面、データを読み解きパターンを見つけるような力が弱いという結果が出たこともありました。それ以来、採用、育成、配属にあたっては、個人の適性や意欲を重視して行っています。

最首 組織マネジメントにもデータを活用されているのですね。

花田 はい。デジタルトランスフォーメーションといえども中心にいるのは人。そうでなければ、大きな変革など望めません。

最首 分析系の仕事に携わっていると感じることがあります。データと深く関われば関わるほど、データやテクノロジーについて詳しいだけではダメだということです。つまり「どうしてこういう結果が出たのか」「なぜ人はこんな行動を取るのか」という、データの裏にあるストーリーを読み解く力の重要性、言い換えればリベラルアーツ的な素養の必要性を感じます。こうした素養を欠いたままでは、本質的な課題解決の端緒にすらつけないのではないかと思うほどです。花田さんはどう思われますか?

花田 同感です。私が好きな言葉に「知識は入れるもの。知恵は出すもの」という言葉があります。取り入れた知識を出す際には、その人の経験や知性が掛け合わされることではじめて知恵になるわけです。そうした意味において、最首さんが言われたような社会や人間への理解や好奇心は、これからますます大事になってくると感じています。

自社のコアコンピタンスがデジタル変革の立脚点に

最首 先日、帝国データバンクが日本企業を対象に行った、新型コロナウイルスの流行が自社に与えた影響に関する調査結果を見ました。全体のおよそ8割の企業が業績へのマイナスを見込み、約2割の企業が業態を変えることすら検討しているそうです。業種や業態によって濃淡はあるにせよ、今般のコロナ禍によって少なくない企業が生存の危機にさらしていることが浮き彫りになりました。こうした状況を乗り越えるために、私たちは何を大切すべきだと思われますか?

花田 容易な状況ではありませんよね。ただ1つ言えることがあるとすれば、何を変えるにしても、一足飛びにゴールには辿り着けないということだと思います。順を追ってやりきる。それしかないのではないでしょうか。

最首 なるほど。

花田 われわれ自身について申し上げると、ITグランドプランのロードマップでも示している通り、まずは生産性向上を第一歩とし、次はビジビリティーを上げることで品質向上、その次が新たな価値の創造といった、3つの段階をスパイラル状に上昇させていくイメージを持っています。この工程を繰り返すなかで、変えるべきなのはビジネスドメインなのか、それともビジネスモデルなのかが見えてくるのではないでしょうか。その前提となるのが、自社のコアコンピタンスです。コアコンピタンスこそが企業にとって、すべての立脚点になるわけですから、自社の強みを明らかにした上で、それに則した立ち位置をいち早く見つけることがもっとも重要なポイントだと思います。

最首 コアコンピタンスに則した立ち位置を見つけるというのは、社会とどう向き合うか、自分たちが何者なのか、どのような価値を提供するかという根源的な問いかけにも通じますね。

花田 そうですね。日揮グループはエンジニアリング会社ですから、技術力で社会課題を解決することこそがコアコンピタンスです。その技術力の担い手であるエンジニアが、日常業務の遂行のみならず、デジタル変革を推進する中核であるのは言うまでもありません。たとえば、プラントエンジニアリングのプロジェクトも、今後は設計書や仕様書といったドキュメントをベースに進行するのではなく、データをベースとしたデジタルツインなどのデジタル技術を活用することで、遂行していくことになるでしょう。そうなれば、エンジニアリングのプラットフォームができて、“エンジニアリング as a Service(EaaS)”化が実現します。

日揮グループのデジタル変革は、多様な技術を持つエンジニアたちが組織の壁、業界の壁を乗り越えながら、新たな価値を創造していく試みと言えるかも知れません。

必要なのは、過去からの延長線上にないイノベーション

花田 せっかくの機会なので最首さんに伺いたいことがあります。

最首 何でしょうか?

花田 われわれが携わっているEPCプロジェクト、例えば建設現場では「マテリアル」「メソッド」「マンパワー」「マネー」「マシン」と5Mの管理で成り立っているビジネスとも言えます。しかしプロジェクトの行く末を左右する要素はほかにもあります。たとえば、気象条件やプラントを建てる現地の文化などです。もし可能なら、こうした次元の異なる多様なパラメータを織り込んで、プロジェクトの行く末を台風の予報円(進路予想図)のようなイメージで予測できたらと思っているのですが、AIや量子コンピュータを活用すれば、予測精度を高めることは可能だと思われますか?

最首 結論から申し上げると可能だと思います。たとえば資源相場の変動や天候不順がもたらす労働力不足、装置の故障率がどれくらいかといった確率的に発生する事象についてはAIで予測できます。またそれらの最適な組み合わせを見極めるために量子コンピュータを使えば、将来の動態がある程度の精度を持って見えてくるはずです。

花田 プラント建設はピーク時に4万人もの人間が現場に入るため、人やモノ、予算の管理だけでも膨大な手間を要します。不確実性の高さを踏まえた上で、より高精度な予測が可能になれば、工期の圧縮やコストの削減にも役立ちそうです。いずれは、複数のプロジェクトを1人のプロジェクトマネジャーが回すことも可能になるかも知れません。

最首 日揮グループさんが携わっていらっしゃる大規模プラント建設は、考慮すべきポイントが膨大にあって、そのどれも疎かにできないというクリティカルな環境なのだと思います。AIと量子コンピュータの組み合わせは、まさにそうした複雑な問題を解くことを得意としています。

株式会社グルーヴノーツ 代表取締役社長 最首英裕  (グルーヴノーツ福岡オフィスにて)

花田 いま求められるのは、過去からの延長線上にはないイノベーションです。だとすると、今後、われわれがこれまで培ってきたノウハウだけではとうてい太刀打ちでない課題に直面することも増えるはずです。そんなとき、最首さんたちの知恵をお貸しいただけたらありがたいですね。

最首 ぜひいろいろな場面で協力させていただけたら、私たちとしても非常にうれしく思います。

花田 手前味噌な話で恐縮ですが、幸いなことに私どもの若手エンジニアの多くは地頭が良いので、デジタルテクノロジーの習得にも貪欲です。昨年9月、日揮グループのデジタル系ガバナンスを効かせる機能として「ITサミット」というステアリングコミッティーを設け、その下に、EPC事業が高いアジリティーでデジタル化を進めていく部隊と新規事業をデジタル技術で開拓していく部隊、そして先進的な技術でデジタル基盤を造っていく部隊に分けました。いままで以上に機動的な動きができると思うので、社外の皆さんともぜひ良い関係を築けたらと思います。

最首 今回は日揮グループさんのように、日本を代表する企業が覚悟を決めて自己変革に挑んでいることを知り、私たちも頑張らなければという気持ちを新たにしました。本日はいいお話を聞かせていただきありがとうございました。

花田 こちらこそありがとうございました。ビジネスのトランスフォーメーションを目指し、これからも改革に取り組んでいきたいと思います。

構成:武田敏則(グレタケ)