今回登場する三枝幸夫氏は、ブリヂストンに約35年間勤め、2017年からCDO・デジタルソリューション本部長として、ビジネスモデル変革やDXを成し遂げた経験を持つ人物です。2020年1月からは出光興産のCDOとして、再び大企業のDXに携わっています。「DXのゴールはテクノロジーの導入ではなく、ビジネスプロセス全体の変革」と解く三枝氏に、グルーヴノーツの代表、最首英裕が話を聞きました。

DX部隊が正論を説いたところで現場は動かない

最首 グルーヴノーツは、AIと量子コンピュータを利用して、企業や社会の課題を数理的に解く会社なのですが、社会を変えるのはテクノロジーではなく人間の強い思いではないかと常々感じています。今日はデジタルによる企業変革と組織や人について、三枝さんのお考えを伺えればと思い参りました。

三枝氏(以下、敬称略) 出光興産は「人間尊重」を経営の原点とする会社ですし、これまでの経験からテクノロジーを導入するだけでは、組織も人も動かないのはよく知っているつもりなので、私も最首さんと議論できるのを楽しみにしてきました。

出光興産 CDO・CIO 三枝氏、グルーヴノーツ 代表取締役社長 最首との対談
出光興産株式会社 執行役員 CDO・CIO 情報システム管掌(情報システム部)(兼)デジタル・DTK推進部長 三枝幸夫

最首 ありがとうございます。以前拝見した記事で三枝さんは、経営陣が現場に対して「うちもAIやIoTを使って何か新しいことをやらないのか」というのは、デジタル変革を後押しすると言うより、むしろ阻むものであり「禁句に近い言葉」だとおっしゃっていたのが印象的でした。

三枝 うちの役員やマネージャーたちにも「絶対にそういう言い方をしては駄目だ」と、よく話しています。テクノロジーにフォーカスする前に、これからのビジネスにとって何が必要か、いま乗り越えるべき問題はどこにあるかがわからなければ、解決の手段は選べないはずです。

最首 テクノロジーはただの道具であって、導入することは目的ではありませんからね。

三枝 そのとおりです。実際、現場のニーズ、お客さまのニーズを理解しないまま導入してしまったばかりに、さして使われることなく寂しく廃棄されるツールやシステムが世の中にどれだけあるか。「うちもAIやIoTを使って——」という言葉には、手段を目的と取り違える危険性を多分にはらんでいると思います。

最首 実際、IT業界が過大な期待を煽り、本質的とは言い難い解決策に踊らされた結果、想定していたような効果が出ないと嘆いている経営者は少なくありません。

三枝 とくにデジタルトランスフォーメーション、DXという言葉が先走っているきらいはありますね。「DXってなんだ?」と10人に聞いたら、全員がそれぞれ別のことを言い出しかねないくらいバラバラなのは、その証拠と言えるかも知れません。もう少し地に足をつけて、何のためにやるのか、何を成すべきかを考えるべきだと思います。

最首 目的と手段が一体なのは、誰にでもわかるはずなのに、手段にばかり着目してしまうのは、どこにゴールを置くのかをはっきりさせないまま形だけの変革に走り出してしまうからでしょうね。いま、こうした問題はさまざまな組織で起きていると思います。

三枝 出光興産は、デジタル技術とは直接かかわりの少ない業務に携わっている社員が多いので、デジタル変革室が立ち上がった当初は、「テクノロジーを使って何か便利な魔法の箱をつくってくれる人たち」と捉えられていた節がありました。そう思うと決して他人事ではありません。

最首 他人任せでは、デジタルによる変革はままなりませんからね。どうやって意識を変えていかれたのですか?

三枝 DXの定義を明らかにして、懇切丁寧に説明を繰り返しました。

最首 三枝さんは、出光興産にとってのDXをどう定義されたのですか?

三枝 「ビジネスプロセス全体をデジタル技術で変革し、新たな顧客価値の創造・従業員体験向上へつなげる活動」と定義しました。中期経営計画に関連資料を織り込んだり、ドキュメンタリー風の動画をつくったり、いまでもことあるごとに「社員全員にとって大事な取り組みなんですよ」と伝え続けています。

最首 なるほど。とはいえ、DXの概念を伝えるだけではなかなか理解は進まないものです。変革の手応えを感じてもらうために、どんな工夫をされましたか?

三枝 実体験に優る原動力はありません。まずは、デジタル変革室(当時)のメンバーが、石油精製を行う千葉事業所に足を運び、現場のスタッフが感じている課題や不満に耳を傾け、「業務プロセスを共通言語で見える化」することからはじめました。「見える化」により潜在的な気付きを発見し、改善策へつなげていくんです。そして5年後にどんな姿になっていたいか。自分たちで考えるよう働きかけるのが、最初のステップでした。

最首 主力のエネルギー部門からDX化を開始されたのは驚きです。傍流の事業からデジタル変革に着手するのではなく「本丸」から改革に着手されたのはなぜですか?

グルーヴノーツ 代表取締役社長 最首
株式会社グルーヴノーツ 代表取締役社長 最首英裕

三枝 出光興産の売上は年間4兆6000億円ほどあるので、仮にエネルギー部門以外でDXに取り組んで100億円程度の売上が増えたとしても、全社的なインパクトはあまり大きくありません、また他人事に感じてしまうかもしれません。原油価格が1ドル/バレルでも変化したら、数十億円単位で収支影響がでる現実に晒されていると、どうしてもそうなってしまいます。それに脱炭素社会に対応するために、いまもっとも変わるべきはエネルギー部門なのは間違いありません。だからこそ本丸から改革をはじめました。

最首 なるほど。もっとも改革の必要性があるからこそ本丸から取り組まれたと。とはいえ巨大な事業体です。ご苦労も多いのではないですか?

三枝 そうですね。他社のDX部門の方と話をしていると「手を替え品を替えて働きかけても、事業部が言うことを聞いてくれない」、「ベストな業務プロセスを提案したのに使ってもらえない」といったお悩みをよく耳にします。こうした問題が生じてしまう背景には、DXを推進する側が、現場とコンセンサスを取らないまま突き進んでいるケースがよく見受けられます。DXを推進しようと思ったら、まず現場で何が起きているのかを知ろうとすべきです。そこに関しては、向き合う事業が小さくても大きくても変わりません。むしろ大きい事業だからこそ丁寧にやるべきだと思います。

DXを推進する中での気付きと進め方(三枝氏資料より)

重要なのはデジタル変革の手応えを体感すること

最首 デジタル・DTK推進部のみなさんは、事業所で具体的にどんな活動をなさっているのですか?

三枝 まずは3か月ほどかけて、管理職からメンバーまで、一通り話を聞いて業務の全体像を掴み、個別の作業内容を把握した上で、重複している業務、抜け落ちている業務、無駄な業務を洗い出して解決策を考えます。そこからどのようなテクノロジーを活用すべきか、事業所のメンバーと考えるわけです。こうした取り組みを内部では「100日スプリント」と呼んでいます。

最首 デジタル・DTK推進部のメンバーが業務改善のドライバー役になって、業務プロセスに深く踏み込んでいくのですね。

三枝 そうです。どの組織にもキーパーソンがいるので、そうした現場の中核を担う人たちが、きちんと腹落ちするまでとことん付き合います。とはいえ私たちがすべてお膳立てして、手を動かしていたのではいつまで経っても他人事のまま。それではDXの意義も半減してしまいます。最終的には、自分たちで課題を見つけて自走型の組織に変わってもらうことを目指します。本格的に取り組みはじめておよそ1年。いまでは事業所のメンバー自らが、デザインシンキング講座やプログラミング教室を開催したりするほどになりました。

最首 わずか1年でそこまでですか。素晴らしい変化ですね。

三枝 逆に言うと、これくらい丁寧にやらないと、慣れ親しんだやり方や意識は変えられないのだと思います。

最首 ちなみに、いま三枝さんの下には何人ぐらいのメンバーがいらっしゃるのですか?

三枝 現時点で40名ほどのメンバーがいます。外部からビジネスデザイン、デジタルマーケティング、データサイエンス、システムデベロップメントに強いメンバーを集めてリーダーになってもらい、各事業部門から有望な若手を登用し組織化しました。

最首 出光興産の規模を考えると少数精鋭ですね。

三枝 そうかも知れません。デジタルテクノロジーの意義を事業所のメンバーに説くだけならそれなりの規模といえますが、いま申し上げたとおり現場の業務にかなり踏み込むので、規模は決して大きくはないと思っています。これからも優秀なメンバーの数を増やしていく考えです。

最首 具体的な成果が出始めているというお話でしたが、事業部のみなさんの反応はいかがでしょうか?

三枝 これはうちに限らずエネルギー産業全体にいえることですが、カーボンニュートラルが社会的課題になり、化石燃料の需要減少が見込まれるなか、当然、全社員が会社の行く末に大きな危機感を抱いています。ただ、石油需要が明日からなくなるわけではありません。日々の忙しさのなかにあっても、自ら変革していく組織になるには、私たちのような事業部を横串で貫く専門部隊の存在がどうしても必要でした。千葉の事業所ではじめた取り組みが一定の成果を挙げてからは、噂を聞きつけたほかの事業所から「うちでもやりたい」いってもらえるようになったので反応は上々です。いまは千葉に加えて、愛知と徳山の事業所でも活動しており、北海道の事業所が現在準備段階に入っています。

出光興産におけるDX推進

バリューチェーンを再定義し、新たなエコシステムを築く

最首 みなさん、エネルギー事業の行く末に大きな危機感を感じているとおっしゃっていましたが、今後、出光興産はどのような企業に変わっていこうとなされているのでしょうか?

三枝 先ほども触れたとおり、私たちにはエネルギーを安定供給するという責務があります。それを踏まえた上で、「地球と暮らしを守る責任」、「地域のつながりを支える責任」そして、技術の力を最大限に発揮して「技術の力で社会実装する責任」という3つの責任を果たしていかなければと考えています。そのために、いまもっとも注力しているのが「カーボンニュートラル」「モビリティ&コミュニティーサービス」「先進マテリアル」の3分野で、技術開発やサービス開発を進めています。

最首 そうなると、単に石油や石油化学製品を販売するビジネスモデルからの脱却が必要になりますね。

三枝 むしろそうしなければならないと思っています。ただ社名が示すとおり、出光興産は創業以来、産業を興し、人を育て、社会に貢献することを志として掲げている会社です。確かに化石燃料と縁が深い会社ではありますが、これまでも、石油だけに固執してきたわけではありません。いま私たちの背中を押している変化の波は、これまでに経験したことがないほど大きなものなのは間違いありませんが、長い歴史のなかで培った経験と変化への適応力を考えれば、乗り越えられると確信しています。

最首 出光興産は社会のエネルギー基盤を担い、文字どおり、産業全体の川上から川下まで網羅されています。それを踏まえて、今後どのような世界観を目指しているのでしょう?

三枝 たとえば、全国のサービスステーションを活用し、自社製の超小型EVを使ってモビリティサービスや資源循環、さらに地域コミュニティのハブとして機能させる「スマートよろずや」という構想があります。全国に点在するサービスステーションの役割を再定義し、再生可能エネルギーから電力を生み出し、モビリティビジネスの要となるEVとサービスを組み合わせて提供したり、地域で集めた廃棄物から高機能なマテリアルを生み出し、EVの部品として活用したりすることも考えています。地域の人の健康的な生活を支えるコミュニティーサービスの提供も検討中です。

スマートよろずや構想図:Service StationからMobility & Community Station へ。地域住民の生活を豊かにするエコシステムの構築を目指して
スマートよろずや構想図:Service StationからMobility & Community Station へ。地域住民の生活を豊かにするエコシステムの構築を目指して

最首 個別のサービスがつながって、一連のバリューチェーンとして機能するようなビジネスモデルを考えていらっしゃるのですね。

三枝 ええ。とはいえ、いま挙げたビジネスのどれも出光興産だけで完結できるわけではありません。地域でサービスステーションを経営していらっしゃる特約販売店や、私たちの志に賛同してくださるメーカーやサービス事業者のみなさんと協力して、エコシステムを構築していく考えです。実際、サービスステーションを起点としたラストワンマイル配送やシニア向けのヘルスケアビジネスの実現に向け、実証実験や新規事業として取り組みはじめています。

すでにはじまっている、出光興産の「意外」な取り組み(実証段階も含む)

  • 洗車オーダーアプリ「AND WASH」
  • 複合型ランドリーサービス「WASH TERRACE」
  • 出光タジマEVによる超小型EV開発
  • EVシェアリングサービス「オートシェア」
  • 移動式脳ドックサービス
  • 日産自動車と協業したダイナミックプライシングを活用のEV充電サービス
移動式脳ドックサービス

三枝 とはいえ、これらの取り組みがすべて実を結んだとしても、エネルギー事業を代替できるだけの売上をつくるのは簡単ではありません。そう遠くない未来に、新規事業の成功可能性を高め、エコシステム全体の稼働率やアセット効率を最大化するためのブレークスルーが必要になると見ています。私たちがAIや量子コンピューティングに期待するのは、そういう部分です。

最首 予測と最適化を得意とするわれわれの出番もありそうですね。

三枝 もちろんです。これから出光興産は、エネルギー供給の担い手であり、EVメーカーであり、素材メーカーであり、これらの要素を組み合わせたサービス事業者という複数の顔を持つようになります。複合的なビジネスモデルを構築し、発展させる意味においても、精緻な計算に基づいた、確度の高い予測や計画はとても重要です。先日実証実験を開始した移動式脳ドックサービス1つとっても、スケールさせようと思ったら、都市のプロファイル情報、関係人口、医療の実績データなどをもとに、いつ、どのような場所とタイミングで回れば、もっとも効率的な運用が可能かを割り出す必要があります。ですから、AIや量子コンピュータには大いに期待しています。

最首 最近、私たちも都市開発の分野で仕事をする機会が増えていて、購買データや位置情報データなどから、地域特性、地域間の関係性を数理モデルで割り出し、都市機能や人員、設備の最適配置を提案することができるようになりました。特徴ベクトル化することで、類似性が高い地域をクラスタリングして効率的なオペレーションを設計することも可能です。EVの移動データから面白い示唆が出るかも知れませんね。

三枝 実際、EVシェアリングサービスの実証実験中に、停車ポイントを分析したところ、地域の人たちさえ知らなかった、新たな観光スポットを見つけたことがありました。移動体通信の高速化と潤沢なコンピューティングリソースが整えられたら、もっと面白い示唆が得られるかも知れません。

出光興産 CDO・CIO 三枝氏とグルーヴノーツ 代表取締役社長 最首の対談

丁寧に合意形成を図ってこそ、デジタル変革は成功する

最首 お話を伺って感じるのは、どれもグローバルな側面とローカルな側面を1つのストーリーでつなげられる御社ならではの取り組みだということです。

三枝 せっかく出光興産にしかないものを持っているのですから、それを活かさない手はありません。事業部門はもちろん、地域が抱える課題もさまざまです。それをデジタルやテクノロジーの力で少しでも前向きな形で解決に導いていきたいと思っています。コロナ禍により、事前の想定よりも前倒しで動かなければならない状況なので、気を抜かずに頑張っていかねばなりません。

最首 これまでさまざまな業界でデジタル変革に携わっておられる方々にお会いしてきましたが、自己否定できる企業の強さを改めて感じました。その上で自分たちにしかできないビジネスを生み出そうとされている。本質的な改革を進めていらっしゃるからできるのでしょうね。

三枝 まだ道半ばですが、そう言っていただけて光栄です。社会情勢の変化で基盤事業であるエネルギー部門が先細りするなか、業態転換とビジネスモデルの転換を図るのは容易なことではありません。それだけに大きなやりがいを感じているのも事実です。

最首 最後に自社のデジタル変革で悩まれている経営者や責任者のみなさんに、DXの要諦を改めてお伝えいただけますか?

三枝 業界によっても、事業規模によっても課題はさまざまだと思いますが、自社のDXを端緒につけるために大切なのは、経営トップの理解と支援、改革にふさわしい人材の確保、現業の理解と連帯の3つです。どれが欠けてもDXは前に進むことができませんし、冒頭にも申し上げたとおり、テクノロジーの導入だけでは、本質的な解決にはつながりません。社内のムードや風土を変えるには、とくに初期段階は焦らず丁寧にことを運び、成功体験を内外に発信することも大切な取り組みになると思います。

最首 ありがとうございます。あと10年もしたら「出光さんって石油も売っている会社なんですね」と言われる時代が来てもおかしくないと思えるくらい、ビジネスモデルを変革しようという強い意思を感じました。

三枝 そんな時代がくるよう、これからも頑張って変革に努めていきます。

CROSS TALK GUEST

三枝幸夫

出光興産株式会社
執行役員
CDO・CIO 情報システム管掌(情報システム部)(兼)デジタル・DTK推進部長

【プロフィール】1985年ブリヂストン入社。制御システムや生産管理システム開発、工場オペレーションなどに従事。2013年、工場設計本部長として、生産拠点のグローバル展開に貢献。2016年、執行役員として工場のインテリジェント化に取り組む。2017年にCDO・デジタルソリューション本部長となり、ビジネスモデル変革とデジタルトランスフォーメーションを推進する。2020年1月、出光興産執行役員デジタル変革室長に就任。2021年7月より現職。

構成:武田敏則(グレタケ)