吉岡晃氏は、アスクルの代表としてオフィス通販の先駆けとして知られるASKULや、個人向け通販のLOHACOの経営に携わっています。2019年のトップ就任以来、同社はデジタルカンパニーへの道をひた走り、2021年にはIT協会による「IT最優秀賞」を受賞するなど、その取り組みが高く評価されています。コロナ禍で小売流通業のあり方が問われるなか、アスクルはデータとテクノロジーの活用によって、利便性と倫理性を兼ね備えた小売流通業を目指すと言います。吉岡氏にグルーヴノーツ代表、最首英裕が話を聞きました。
社会を変えるのは、人類の願望を叶えるテクノロジーの力
最首 吉岡さんとは、2021年に御社の社内セミナーにお呼びいただいた以来のお付き合いですね。
吉岡 そうですね。最首さんには、先進的な取り組みを行っている外部有識者をお呼びする「アスクルDXセミナー」にご登壇いただいて、AIや量子コンピュータを活用したDXと経営についてお話いただきました。私どもの素朴な質問にも丁寧にお答えいただきとても感謝しております。その節は大変お世話になりました。
最首 いえいえ。私自身もとても勉強になりました。それに、アスクルの皆さんの前でお話できること自体、私にとってとても感慨深いことでした。
吉岡 と、言いますと?
最首 お声がけいただいたとき、アスクルさんが華々しく登場された記憶が蘇りました。「今日頼んだものが明日届く」というASKULの明快なコンセプトが鮮烈でしたし、法人向けのASKULに続いて個人向けのLOHACOも大きな成功を収めました。カタログ通販からECへの移行の際には、多くの苦労があったと思います。しかし時代の変化を捉えて自らを変えて事業を伸ばしてこられた。そんな皆さんを前に、テクノロジーで社会を変えようというお話ができたのはとても光栄だなと思ったのです。
吉岡 そんな風におっしゃっていただけて光栄です。とはいえ、「明日、届く」というサービスコンセプトは、競合の登場によって、当たり前になりコモディティ化していきました。ですから、世の中にどんな価値を届けるべきかを考えることは、われわれにとって宿命のようなもの。最首さんの講演を聴いて、改めて人類はテクノロジーと共に進化してきたのだと感じましたし、コロナ禍で、ECのこれからを考えなければならないタイミングで、AIや量子コンピュータの可能性について知見を広げられたのはとても有益だったと思います。
【プロフィール】1968年生まれ。千葉県出身。1992年青山学院大学理工学部を卒業し、西洋環境開発に入社。2001年、アスクルに移り、2006年、アスクルメディカル&ケア統括部長、2011年、アスクルメディカル&ケア担当執行役員、2012年、アスクル取締役BtoCカンパニーCOOなど要職を歴任。2019年から現職。
最首 いま吉岡さんが「人類はテクノロジーと共に進化した」と、おっしゃいましたが、人類はテクノロジーを手にすることで、自らの振る舞いを大きく変えてきました。もっと言うと、潜在的な願望に突き動かされるように自分を変えてきたと言ってもいいかも知れません。コロナ禍で多くの人がリモートワークを強いられましたが、コロナ禍が収まったからといって、いまさら毎日満員電車に乗りたくないじゃないですか。
吉岡 乗りたくないですね(笑)
最首 ですよね(笑)。その気持ちはおそらくコロナ禍が去っても変わらないと思うんです。量子コンピュータもいずれ何かのきっかけで、人類が潜在的に望んでいたけれど、まだ実現できていない暮らしや生き方を実現する力になるのではないかと考えているのです。
吉岡 何ができるんでしょうね。想像するだけでワクワクします。
最首 すでにお客様の知恵を借りながら、さまざまな業種で実証実験や事業化に取り組んでいますが、突き詰めると「少子高齢化で人口が減っても、生活レベルを落とさなくても大丈夫です」と胸を張って言えるようにするってことだと思います。量子コンピュータの技術的な側面よりも「これを使って何ができるか」に関心を持つ人が増えれば、社会のあちこちで面白いことが起きてくるはずです。
吉岡 実は先ほどある製薬会社さんとお話していて感謝されたんですよ。
最首 どうされたんですか?
吉岡 最首さんもご承知のとおり、小売流通のデジタル化は道半ばです。クローズドでアナログな領域が多く、デジタル化で何ができるか共通認識すらままならない状況ですが、ASKULは当社とお取引のあるメーカー各社に対し、ASKULの販売データをすべて見られるようにしました。もちろん個人情報は伏せた上での話ですが、A社が自社の販売データに加え、B社、C社の製品の販売状況が見られるんです。
最首 すごい試みですね。
吉岡 データは社会に還元すべきものと考え、情報の共有に踏み切りました。その結果、何が起こったかと言うと、ASKULを新製品のテストマーケティングの舞台として使うようになり、リアル店舗での返品率が劇的に減ったのだそうです。もちろん感謝されてうれしかったのですが、それ以上に驚きました。そこまでの効果を見越していなかったからです。先ほど最首さんが「テクノロジーが人間の潜在意識を掘り起こし、暮らしや生き方を変える」とおっしゃいましたが、とても納得感があるお話だと思って聞いていました。仕組みを変えるだけでも変化は起こせるんですね。
最首 発明者ですら意図しなかった使われ方が、結果として社会をよくしていくことってあるんですよね。AIや量子コンピュータでも、そうした状況を起こせたらいいなと常々考えています。
吉岡 それがテクノロジーの面白いところなんでしょうね。すごく可能性を感じます。
利便性とサステナビリティの両立を目指す
最首 アスクルさんは、ECでの販売だけでなく日本全国に物流拠点を作り、トラック配送にも携わっていらっしゃいます。ネットでモノを売るだけで完結しないがゆえの葛藤や苦しみ、悩みもあるのではないかと想像しますがいかがですか?
吉岡 おっしゃるとおりです。目下の取り組みとして一番注力している課題は、お客様の利便性の最大化と環境負荷を下げるサステナビリティの両立です。端的に言うと、お客様にアスクルが便利だから利用しようと思っていただくだけでなく、世の中のため、環境のためになるから利用しようと感じていただけるようにしなければなりませんし、従業員からもアスクルで働くことは社会貢献になると、誇りを持ってもらえるようにしなければなりません。
最首 どんな取り組みをなさっているのですか?
吉岡 主だった施策としては、お客様から回収したクリアファイルを再生する取り組みや、環境に配慮したオリジナル商品の開発、オリジナルコピー用紙のトレーサビリティの確立、事業所や物流センターのCO2排出ゼロ、配送車のEV化などです。サプライチェーン全体で社会貢献とビジネスを両立する努力を続けているところです。
最首 素晴らしい取り組みですね。
吉岡 ありがとうございます。限られた人手で大量の商品を捌くのに加え、無駄な在庫を減らしCO2の排出も最小限に抑えたいという、一見相反するような取り組みですから苦労は絶えません。こうした課題の本丸中の本丸が、物流センターと配送です。DXの要衝と言ってもいいかもしれません。
最首 単にモノを届けるのではなく、よりよく届けるんだという気概を感じます。社会や顧客、従業員にとってフェアであろうという姿勢が伝わってきます。
吉岡 もちろん儲けも大事ですが、地球環境であれ、従業員であれ、誰かを犠牲にしたビジネスは続かないですし、続けるべきではないと思います。社会環境の厳しさは増すばかりですし、どれも言葉で言うほど簡単な取り組みではないのですが、やらなければならないのであれば、きちんとやっていこうと。とくにいまコロナ禍で、物流部門はフル稼働です。給与以外の処遇面も改善しようと、物流センターでは食事の無料提供や仕事の悩みを受け付ける相談ホットラインの開設など、できる限りの手当に努めています。
最首 現場を守る従業員がいてこそのECビジネスですからね。
吉岡 そうですね。お客様からいただく声のなかにはもちろんお叱りの声もあります。でも「テトリスみたいにキッチリ箱詰めしてくれてありがとう。必要最小限の緩衝材だからゴミが少なくて済んだ」、「雪が降りしきるなか、荷物を定時に届けてくれて助かった」といった、お褒めの声を頂戴することも少なくありません。こうしたお客様の声がわれわれのモチベーションになっています。
最首 そうした声を耳にすると、さらによくしようという気持ちが喚起されますよね。
吉岡 そう思います。立ち返るべきは「自分は何のために仕事をするのか」「なぜ働くのか」、そこを見据えていないと、いくらエシカルでサステナブルな経営を謳ったところで、誰も耳を貸してくれません。それを明らかにした上で、目詰まりを起こしている部分、非効率な部分をテクノロジーで改善していくべきだと思います。
最首 注文からお届けまでの時間は短くなっていますし、返品、天候不順や交通渋滞など、予測が難しい要素がたくさんあるでしょうから「変化に対応する」と言っても、簡単ではなさそうです。
吉岡 多様な役割を持った人たちが力を合わせ難題に向き合うからこそ、誰もが納得でき、腹落ちするパーパス(存在意義)の明文化が必要なんだと思います。アスクルのパーパスは「仕事場とくらしと地球の明日(あす)に『うれしい』を届け続ける。」です。売場であるECサイト、モノが集まる物流センター、配送を担う配送車、そしてわれわれのバックオフィスに分散して蓄積しているデータは、指数関数的に増え続けていきます。これらをいかに使うか。いまは、主にCDXO(最高DX責任者)やCTO(最高技術責任者)が中心となって取り組んでもらっていますが、社長も従業員も関係なく、それぞれの持ち場で考えるべき課題でもあります。テクノロジーとパーパスは会社を変える大事な要素です。
最首 アスクルさんは2021年に、公益社団法人企業情報化協会が選定する第39回「IT最優秀賞(トランスフォーメーション領域)」を受賞されましたね。
吉岡 ありがとうございます。名だたるテックカンパニーに比べれば、エンジニアの人数や取り組み内容はまだまだですが、データの収集や活用への取り組み、オープンイノベーションに積極的な姿勢、変革に対して前向きな企業文化の醸成など、5項目挙げて多面的に評価していただきました。少しずつではありますが、最首さんにも講演でご尽力いただきましたが、全従業員へのリテラシー教育も進んでいます。こうした外からの評価を励みに、至らない部分を埋めていかねばと思っています。
緊急時に「売らない」選択ができたのは、パーパスのおかげ
最首 この連載を通じて、さまざまな経営者やリーダーにお話を伺うと、変化に直面している経営者ほどパーパスの重要性をおっしゃいます。私自身は、ベターな選択でお茶を濁すのではなく、ベストな選択をしなければならないという強い意思の表れと受け止めています。
吉岡 おっしゃるとおりだと思います。パーパスを明確に打ち出していたからこそ、迅速に対応できた例があります。2020年の春頃、一時マスクや消毒液が供給不足に陥り、医療機関や介護施設に行き届かない問題がありましたよね。
最首 ありましたね。
吉岡 売上だけを考えれば「コロナ特需だ」と言って、転売屋に売ってもよかったのでしょうが、われわれはその道を選びませんでした。データとテクノロジーを駆使して、本当に必要としている医療機関や介護施設だけにお届けするようにしたんです。この取り組みひとつとっても従業員にパーパスが浸透していなければ、あれだけのスピード感で実現できたかわかりません。先ほど言及していただいた、IT賞の選考理由にも「データとテクノロジーで『売らないマーケティング』を実践した」という評価をいただきました。最首さんの言葉を借りればベターな取り組みに安易に飛びつかず、ベストを目指したからこそ可能だったのかもしれません。
最首 テクノロジーの発展と普及によって、かつては効果で手が出しづらかった高度な取り組みが、安価でしかも簡単に使える時代になりました。高邁な理想を掲げてもそれを使おうという発想がなければ、社会にインパクトを残せません。アスクルさんはそうした時流をきちんと捉えて、パーパスの実現に向かっていらっしゃると思います。
吉岡 過分なお言葉をいただき恐縮です。最首さんがおっしゃるように、テクノロジーを上手に使いこなそうと思ったら、経営者も「わからない、知らない」で済ませていけません。少なくとも何ができるかくらいは知っておくべきだと、私自身も肝に銘じています。
最首 何か心がけていらっしゃることはありますか?
吉岡 実はちょくちょくスタートアップ企業の方々集まるミートアップイベントなんかに足を運ぶようにしています。知らない言葉を耳にしたらすぐメモして後でこっそり調べるんです(笑)。コロナ禍でそうした機会がずいぶん減りましたが、自分の知識や経験を過信せず、アップデートしなければと思っているんです。
最首 経営者自身が前向きだと、従業員の皆さんの振る舞いも前向きになりそうですね。
吉岡 そうだとしたらうれしいですね。
社会や環境に配慮したサービスで、選ばれる存在になりたい
最首 いま、豪雪地帯における街の課題の可視化に取り組んでいますが、そこにはオープンソースとして公開されているツールやデータなども活用しています。一昔前ならそれなりの金額を支払わなければ使えなかったツールが無償公開され、かつ数行のコードを書くだけでたちどころに課題が発見できるようになる。そこまで、テクノロジーを使う環境は進化しているのです。
吉岡 問題がわかりやすく可視化できたらモノを早くお届けできるようになるでしょうし、非効率な活動を減らせれば、現状の人数でサービスを向上させつつ、週休3日制だって実現できるかも知れません。夢が広がります。
最首 そうですね。これはつまり知っている人と知らない人とでますます格差がつく時代でもあるということでもあるので、テクノロジーへの理解はますます重要になるでしょうね。吉岡さんはこうした状況を踏まえ、アスクルをどんな会社にしていきたいとお考えですか?
吉岡 お客様のみならず、社会や環境にいいサービスを提供することで、多くの方々に選ばれる会社にしたいと思っています。そのためにテクノロジーを活用したいですし、異業種、異業界の方々とつながりを深めていかなければならないと思います。そういう意味では、AIと量子コンピュータに強いグルーヴノーツさんと一緒なら何ができるでしょう?想像を超える変化が起こせたら面白いでしょうね。
最首 同感です。働く場所を問わない時代になり、完全自動運転車が当たり前のように街中を走る日がもうすぐやってきます。これから小売流通業のあり方も、きっといまとはまったく違ったものになるはずです。それまでに、吉岡さんの構想を具現化できるようお手伝いできたらうれしいです。今日は長い時間、お付き合いいただき、ありがとうございました。
吉岡 こちらこそいい頭の体操になった気がします。ぜひ一緒に化学反応を起こしましょう。本日はいい機会をありがとうございました。
最首 こちらこそありがとうございました。
構成:武田敏則(グレタケ)