戦乱や経済危機を幾度となく乗り越え、歴史を紡ぎ続ける伝統企業が多くあります。1804年(文化元年)創業のミツカン(Mizkan Holdings)もそのような企業の1つです。日本マクドナルドなどでデジタルの責任者のポジションを歴任された後、2018年にミツカンに招聘された渡邉英右氏は、執行役員CDO(最高デジタル責任者)として、同社のデジタルトランスフォーメーション(DX)をリードしています。ファーストキャリアから一貫して外資系企業やIT企業でデータとテクノロジーに向き合い続けてきた渡邉氏は、2021年に創業217年を迎えるミツカンで何を成し遂げようとしているのでしょうか。
複数の外資系企業を経て創業217年のミツカンへ
最首 この対談シリーズでは、テクノロジーやデータを活用し、これまでとは異なる価値の創造に挑んでいらっしゃる「本物」のみなさんにご登場いただいています。今回は日本人の食卓に欠かせないお酢をはじめとした食品を提供されている「ミツカン」のCDO、渡邉英右さんです。本日はよろしくお願いいたします。
渡邉氏(以下、敬称略) こちらこそよろしくお願いいたします。
最首 渡邉さんは、マイクロソフトを皮切りに、カタリナ マーケティングやテラデータなどで、長らくプロダクトやソリューションを提供する側にいらっしゃいました。2016年以降は、前職の日本マクドナルド、そして現職のミツカンとユーザー側でキャリアを積まれていますね。
渡邉 マイクロソフトを辞めた後、MBAを取りに行ったのは戦略コンサルティングファームに興味があったからなのですが、MBA修了後に選んだのは、スタートアップの立ち上げでした。戦略系ファームのインターンに参加してみて、自分には事業を支援する立場より、事業をするほうが性に合っているなと感じたからです。その後も引き続き、ベンダー側とユーザー側で少しずつ立場を変えながら、デジタルテクノロジーとデータの活用を軸とした仕事に携わっています。
最首 そんなキャリアをお持ちの渡邉さんが、創業217年を迎えるミツカンにCDOとして入るというのもユニークな選択だと感じました。どのような経緯で入社されたのですか?
渡邉 お声がけいただいたのはご縁というほかないのですが、私がミツカンを選んだ理由は2つあります。1つは長らく外資系企業の支社側にいたので、本社側で仕組み作りから携わりたかったという点、もう1つはミツカンの経営陣からデジタルで自社を変えようという強い意気込みを感じた点の2つです。私が入社した2018年はミツカンにとって創業215年の節目の年。その年にスタートした中期経営計画にも、コーポレートビジョンにも、明確にデジタルを重視する姿勢が打ち出されていました。トップが変革に対して強い意志を持っているオーナー企業なら、ダイナミックな変化が起こせるのではないか。そう思いミツカンに入りました。
最首 デジタルによる企業変革を目指そうと思えば、当然トップのコミットメントは欠かせません。そういう意味で、ミツカンさんには変革の素地があると思われたのですね?
渡邉 はい。役員ほか、現場のみなさんも非常に協力的な印象もありましたし、すでに私が入るころには、マーケティングや購買、製造、流通など、サプライチェーン全体を通してデジタル化によって成し遂げたいテーマが一通りまとめられていました。ミツカンの本気を感じたからこそ入社したのです。
レガシーシステムの刷新とDXを同進行でやりきる覚悟
最首 渡邉さんのキャリアを改めて拝見して感じるのは、非常に現代的だということです。
渡邉 といいますと?
最首 渡邉さんはデジタルテクノロジーやデータに強い方なのは間違いないですが、かといってプログラミングをガリガリ書いていたタイプではないですよね?
渡邉 ええ。キャリアの最初こそ、コードを書くこともしていましたし、過去にいろいろな仕事を経験させていただきましたが、2016年以降はとりわけ、データを集め、分析して課題を解決する仕事に取り組んできました。ですから、最首さんがおっしゃるように、いわゆるコードを書くエンジニアとは違いますね。
最首 私が「現代的」だと申し上げたのは、課題解決の手段であるべきシステムを目的化しがちな、日本のIT業界の悪しき伝統と一線を画していらっしゃるような印象を受けたからです。渡邉さんのような、データによる課題解決に向き合い続けてこられた方が、ミツカンのような歴史ある伝統企業のCDOとして入られるのはとても新鮮ですし、事業会社でこそ生きるご経験があるたくさんあるのではと感じました。
渡邉 ありがとうございます。
最首 私自身、いまの日本はベンダー側もユーザー側もDX(デジタルトランスフォーメーション)ブームに狂奔して、本質を見失っているように思えてなりません。渡邉さんはいま日本企業が置かれている状況をどのようにご覧になっていますか?
渡邉 長らく言われ続けていることですが、エンジニアの8割がユーザー企業側にいるとされる欧米とは逆に、日本企業の大半はITを外部のベンダーに依存している状況です。最首さんのおっしゃるように、多くの日本企業はSIerを初めとするベンダーのビジネスモデルに組み込まれてしまっており、ここから脱却するのはかなり難しいことだと感じています。
最首 IT化の遅れは、情報戦略やシステム戦略の弱さとして語られることは少なくありません。実際、日本企業は「DXの前に情報戦略の見直しから」という話も耳にします。それについてはいかがですか?
渡邉 そうですね。たとえば古くから基幹業務システムを利用している企業でも、導入領域がごく一部業務に過ぎなかったり、現状の業務やビジネスに適応しきれていなかったりするケースもあると聞きます。まずはDXの前に、レガシーな基幹業務システムを刷新すべきというのは、確かにまっとうな意見だとは思います。しかし環境が準備万端整ってからDXに取り組むのでは遅すぎる。同時進行でできるところから進めていきつつ、自社でITを手の内化するべきだと思います。
最首 ミツカンさんの場合はいかがですか?
渡邉 日本のお客様には馴染みがないかも知れませんが、ミツカンは日本・アジア、北米、欧州の3極でビジネスを展開しているグローバル企業です。各国で行われているビジネスプロセスの標準化、クラウドを活用したモダンな基幹業務システムへの移行についても、CIO(最高情報責任者)と協力しつつ、DXと同時進行で取り組んでいます。と、口で申し上げるのは簡単なのですが、何しろ規模が大きいこともあって、一朝一夕にできるものではありません。私自身、業務プロセスの標準化も既存システムの見直しも、DXとは切り離せないという認識です。とくに現状を適時可視化するために必要不可欠なプロセスだと思っています。
社会の変化がシステムのあり方を変えるかも知れない
最首 実はコロナ禍の第一波が収まったあたりから、お客様からの引き合いが非常に増えました。とくに目立っているのが人の配置やモノの配分、作業工程など生産計画を最適化、自動化したいというご要望です。いま渡邉さんがおっしゃったような、現状を正確に把握した上で、効率化したいというニーズは、今般のコロナ禍でより一層強まった気がします。
渡邉 よくわかります。とくに少子高齢化で労働力が減るのは企業にとって、量的にも質的にも大きな課題です。当社でもつい最近、グローバルを含む全社員のプロフィールを横並びで参照できるタレントマネジメントシステムの開発に着手したこともあるので、多くの企業が人の最適な配置に目を向けるのはよくわかります。
最首 企業はこれまでさまざまな取り組みを通じて効率化に尽力してきましたよね。いま求められているのは、絞りきった雑巾からさらに水を絞り出すような努力といえるかも知れません。グルーヴノーツに関心を持ってくださる企業が増えているのは、これまでのやり方の限界が見えるなかで、量子コンピュータとAIの組み合わせに可能性を見出してくださっているように感じます。
渡邉 そうでしょうね。自社だけですべてを完結させようとすることが困難で、非効率な時代だからこそ、競争よりも共創、コンペティションよりコ・クリエイション(Co-creation)が求められる面もあると思います。
最首 確かに。自社のなかに閉じているよりも、協力できるところは協力し合うほうが合理的な選択ですからね。
渡邉 私たちもできる限り情報を外に開示して、共創できるパートナーを増やしていきたいと考えています。たとえばSNSを通じた生活者と一緒にメニュー開発を行う、共創プログラムなども、こうした現状認識から生まれた取り組みのひとつです。グルーヴノーツさんとも協業できることもありそうですね。
最首 そう思っていただけて光栄です。ここ最近、データ探求に挑むなかで感じることがあります。それは、これからさらに変化の振幅が増大し、不確実性がもっと高まるなかで求められるのは、物語のように記述されるプログラムで構築された従来型のシステムではなく、シンプルな数理モデルや数式を組み合わせて作るシステムではないかということです。ちょっと抽象的な話で恐縮ですが、渡邉さんはそれについてどうお感じになりますか?
渡邉 非常に面白いお話だと思います。量子コンピュータやAIを使ってデータ分析に携わっていらっしゃるグルーヴノーツさんならではの感覚なのかもしれませんね。
最首 そうかも知れません。これまで見えなかった事象を可視化するには、こうした発想の飛躍が必要なのではないかと最近よく考えるようになりました。
渡邉 最首さんもご経験があると思いますが、外資系企業はKPI(重要業績評価指標)やKGI(重要目標達成指標)をとても重視します。それゆえ、これらの指標を達成するためにどんな取り組みが効くのか、データを見ながら相関関係、因果関係を細かく紐解いていくわけですが、この取り組みを徹底的に突き詰めた先にあるのがある種の数理モデルなのかも知れません。凄く興味がある分野です。
最首 そうです。経営には経験と勘に頼る部分が残っているのは否めませんが、それもやりようによっては、科学的に計測可能にできるのではないかというのが私たちの見解です。ミツカンさんは微生物をコントロールして発酵食品を製造され、人々の健康やおいしさという、数値に表しがたい価値と向き合っていらっしゃるじゃないですか。もしかすると御社のなかには、いまだ知られざる宝の山が隠されているかも知れません。
渡邉 面白いですね。もしそれらがこれまでとは異なる次元で計測可能になったらどんな示唆が得られるのか。そう考えると夢が膨らみます。
<グルーヴノーツとMizkan Holdingsのかかわり>
新商品の予測は、過去のデータが存在しないため難しく、食品ロスや欠品が大きな課題になっています。そこでMizkan Holdingsは、グルーヴノーツの「MAGELLAN BLOCKS(マゼランブロックス)」を活用して、新商品の初期出荷後の売れ行き予測に挑戦。グルーヴノーツのコンサルタントからナレッジトランスファーを受けながら、AIに必要なデータを収集し、高精度な予測モデルを作成するプロジェクトを発足しました。AIが導き出す需要予測の伸縮に合わせて、適切な生産・供給量を判断し、廃棄や欠品による販売機会ロス/在庫ロスを抑止することに挑戦しています。
DXは「習うより慣れろ」と「任せてやりきる」
最首 ミツカンさんは多くの日本人にとって非常に馴染み深いブランドをお持ちです。逆にいうと「食酢」のイメージが強いことが、それ以外の商品を世の中に認知してもらう上で障壁になることもあるのではと思うのですが、実際のところはいかがですか?
渡邉 確かにそういう面はありますね。ところでミツカンは納豆分野では業界シェア2位なのですがご存じでしたか?「納豆 金のつぶ」って、実はミツカンのブランドなのです。
最首 え、そうだったのですか! 知らずによく食べていました(笑)
渡邉 ありがとうございます(笑)。お酢も納豆も発酵技術を用いて製造する食品ではあるのですが、イメージが離れているため「MIZKAN」ブランドをあえて強く打ち出してはいないのです。お酢も納豆もなかなか差別化が難しい商品で、店頭で並んでいなければ容易に他社製品を買われてしまう傾向があります。その一方、主要な購買層の高齢化を考えると若年層に対するブランディングも必要ですし、グローバルに目を転じればリージョンごとに異なる消費特性にも対応しなければなりません。マーケティング施策には絶妙なバランスが求められるのです。
最首 そういう意味ではデジタルマーケティング以外にも、デジタルに期待することは大きそうですね。
渡邉 はい。先ほど最首さんもおっしゃっていたように、当社でもデジタル化は目的ではなく現実をいい方向に変える、イネーブラー(Enabler)という位置づけで捉えているので、期待されていることは経営全般、ビジネス全般にわたります。一言でいうと、広義のS&OPと呼ばれる、経営と開発、調達、生産、物流、販売、在庫情報をデジタルで可視化し、サプライチェーン全体を最適化すること。これをなんとか5年くらいのスパンで形にして、一定レベルまで引き上げるのが私の仕事だと思っています。オーナーを含めて経営陣も共通した認識のもと、強力にバックアップしていただいているので、比較的恵まれた環境だと思っています。
最首 渡邉さんが重要な使命を担われていることがよくわかりました。改めてミツカンという古くから日本人に親しまれている企業で、デジタル改革に挑まれている率直な感想を聞かせていただけますか?
渡邉 ミツカンは、江戸時代後期に日本酒の醸造過程で生まれ、その多くが捨てられていた酒粕からお酢を作るという事業を祖業としているせいでしょうか、私がいままで働いてきたどの企業よりも、社会とのつながりを意識していると感じます。ESG経営やSDGsという言葉が生まれる前から、自然環境や社会、人に対して良い影響を与えたいと本気で思っている本当に希有な会社なのです。そんな会社でDXに携わるわけですから、やりがいを感じないわけにはいきません。
最首 2018年に発表された未来ビジョン宣言で謳われていることが、渡邉さんの言葉を裏付けていますね。おいしくて健康にいい商品を作るだけでなく、廃棄をできるだけなくしてとか。商品を作る過程で水をたくさん使うからおいしい水をきれいな水を作ろうとか、派手さはないけれど、きちんとやるべきことをわかっていらして、手を抜かずにまっとうしようとしていらっしゃる。とても真摯な姿勢でビジネスに取り組んでいらっしゃるのですね。
渡邉 はい。多少真面目すぎるきらいもあるのですけれど、そこがミツカンのいいところだと思っています。
最首 渡邉さんは、個人としてはこれからどんなことに挑戦されるのですか?
渡邉 私自身、教育ではなくビジネスの世界に進みましたが、実は私の実家は学習塾を経営していたこともあり、人材育成や教育には人一倍関心を持っています。とくにデジタルによる変革には、若者のまっすぐな視線が重要です。CDOという立場からデジタルの可能性を示し、若者のチャレンジ精神を刺激できたらと思っています。
最首 本質的なDXとは何か、模索されている経営者に対してもメッセージをお願いできますか?
渡邉 「習うより慣れろ」と「任せてやりきる」に尽きると思います。大きな予算をかけなくても、できることはたくさんあります。やってみてはじめてわかることも多いですし、失敗が糧になることも少なくありません。アイデアや意欲を持つ若手の背中を押して経験を積ませるべきでしょう。私自身もデジタルネイティブ世代にどんどんチャンスを与えていきたいと思っています。
最首 本日は貴重なお時間を割いてくださりありがとうございました。
渡邉 今後、ご一緒できる機会があったらぜひよろしくお願いします。
最首 こちらこそよろしくお願いいたします。
CROSS TALK GUEST
渡邉英右氏
株式会社Mizkan Holdings
執行役員 CDO 兼 日本+アジア事業 CDO 兼 デジタルIT戦略本部チームリーダー
【プロフィール】1979年、岐阜県生まれ。米国シアトルのコミュニティカレッジを卒業後、ベンチャーを経てマイクロソフトに入社。2008年までの約5年間でコンテンツ・スペシャリスト、マーケティング・ソリューション・マネージャーなどを務める。一橋大学大学院(一橋ICS)にてMBAを取得後、カタリナ マーケティング ジャパン、日本テラデータなどを経て、日本マクドナルドへ。2018年11月、Mizkan HoldingsのCDOに就任。
構成:武田敏則(グレタケ)